豆搗川沿いの桜並木を育てよう・・・中区間(B区間)2025年第1回目の草刈完了
豆搗川沿いの桜並木と遊歩道には、全長約1kmのうち、4つの橋で区切られた3つの区間があります。
梅雨に入る直前に、これらの真ん中の区間(B区間)の草刈を終えました。この区間の東寄りにはカモジグサ(よくあるイネ科の雑草)が繁茂、刈払機に絡まって刈るのに結構手間取りました。
雨が止んだら、西区間(A区間)の草刈に着手しようと思います。
豆搗川沿いの桜並木と遊歩道には、全長約1kmのうち、4つの橋で区切られた3つの区間があります。
梅雨に入る直前に、これらの真ん中の区間(B区間)の草刈を終えました。この区間の東寄りにはカモジグサ(よくあるイネ科の雑草)が繁茂、刈払機に絡まって刈るのに結構手間取りました。
雨が止んだら、西区間(A区間)の草刈に着手しようと思います。
秋田県北東部には鉱山が集中していた。秋田大学には日本で唯一の鉱山学部(現 国際資源学部と理工学部)があった。
八幡平と十和田湖の間、尾去沢と小坂にはかつて日本最大級の銅山(金、銀も産出)があった。三菱が経営していた尾去沢鉱山跡では、総延長800kmあった坑道のうちの2km程だが、本物の採掘現場を歩くことができ見応えがある。
鉱山の鉱脈は、地下深くのマグマから出た鉱物を含む熱水が岩盤の割れ目に沿って地表近くまで上がってそこで固まったもの。鉱脈に当たるとそこから縱に岩の割れ目に沿って採掘していく。こんな様子も実感できる。
小坂鉱山は閉山したが、現在も同和鉱業系の会社が精錬施設を使って電子基盤から貴金属をリサイクルする都市鉱山事業を行っている。
かつて、東京、大阪に次いで電話が通じたと言われる小坂には、立派な洋風の事務所や病院、従業員のための娯楽施設も完備していた。それらの多くは解体されたが「小坂鉱山事務所」と劇場「康楽館」が国指定重要文化財として保存されており、当時の繁栄を偲ぶことができる。
特に康楽館はバックヤードも含めて見学できるだけでなく、現役の劇場として、芝居、歌舞伎、文楽などの公演も行われている。この日も芝居が上演されていたが、案内の方が奈落や観客席を見せてくれた。
八幡平の岩手県側には松尾鉱山跡が残っている。朽ちかけた鉄筋コンクリートの威容は、「陸の軍艦島」を思わせる。
松尾鉱山は1969年に閉山。かつては東洋一の硫黄鉱山だった。当時、最先端の住宅施設と充実した娯楽施設に囲まれて「雲上の楽園」と呼ばれたそうだ。
八幡平一帯は温泉の宝庫でもあります。
東北地方の温泉としては最高所にある藤七温泉に泊まりました。標高1400mにあるので朝方は道路が凍ります。
温泉の湧く地獄地帯に点々と野天風呂がつくってあります。遮るものはなく抜群の開放感。お湯は硫黄でドボドボ、地面からぬくもり、ぷくぷく湧いてくる泡に包まれてちょっと不思議な感覚です。
蒸ノ湯温泉も標高1100mの高所にあります。こちらは山の湯宿にしては天井の高いしっかりした建物。すぐ前の沢で温泉が噴き出しています。
他にも、後生掛温泉、少し離れて玉川温泉など有名な温泉地がいっぱいあります。
後生掛温泉も地獄地帯につくられた一軒宿。自然研究路を一周してくると泥火山など珍しい温泉現象を見ることができます。
玉川温泉は、地熱パワーの迫力を感じる所。硫黄のガスが噴き出す噴気孔や温泉の湧出があちこちにあります。
中でも大噴(おおぶけ)は、98℃、pH1.2の強酸性の熱湯が毎分8400㍑吹き出す源泉。ここから大量の湯が川になって流れ出ています。強酸の主成分は塩酸。玉川温泉ではこの熱湯を水で薄めないよう熱交換器を通して温度を下げ、大浴場へ引き込んでいます。
浴場では源泉100%はキツいので、水で割って50%にした浴槽もあります。さすが強酸性なので、湯船に入ると皮膚のあちこちがチクチク痛痒くなってきます。
玉川温泉は、地熱を持つ岩盤の上にゴザを敷いて身体を温める岩盤浴でも有名です。この付近で産出する北投石はラジウムを含んでいて放射線の効果もあると言われます。
東北地方の温泉地の湯治宿には、旅館部と湯治部があって、長期にわたり自炊をしながら滞在する湯治客もいます。
ババヘラアイス、バラ盛りカップ・・・あちこちで見慣れぬアイスを見かけます。玉川温泉の売店にも置いてありました。
秋田名物だそうです。
春の新緑、芽吹き、開花が素朴で美しいです。
仙台まで来たので、もう少し足を伸ばして八幡平へ。
八幡平は、岩手県と秋田県にまたがる標高1600mくらいの火山地帯。ピークがはっきりしない盾状の山で、頂上付近を走る観光道路はアスピーテラインと呼ばれますが、実際には粘り気のない溶岩が広がった盾状火山(アスピーテ)ではなくて、成層火山(コニーデ)が浸食されてできた山のようです。
お目当ては、雪解けの時期だけに見られるドラゴンアイと温泉です。
二日目は天気に恵まれたので、頂上付近を散策しました。あたりはまだ一面の雪。散策道は雪の下なので、目印の竹の棒とピンクのテープを頼りに山頂(1613m)をめざします。山頂と言っても、山頂と書かれた木の柱と木組みの展望台がなければどこが山頂かわからないほど平らな雪原です。
早朝は雪面が凍ってツルツル、怖かったです。
天気のおかげで、雪と融けつつある池沼と木の緑のコントラストが美しかったです。
さて、この時期の目玉はドラゴンアイ。
八幡平山頂近くの火口跡に水がたまってできた鏡沼にできる自然の造形です。
形が丸いのと周囲に雪が積もっているおかげで、雪融けで沼の水位が上昇するにつれて、浮力と周囲からの圧力で沼の真ん中が盛り上がり、まるで眼の虹彩のようになります。さらに、条件が重なると中心の部分が融けて瞳ができます。これを開眼と呼ぶのだそうです。期間限定の自然現象をたまたま目撃できるかどうかは運ですね。
今年は雪が多くて、まだ半目でした。
地元では「山の目」「竜の目玉」などと呼ばれていたそうです。海外からの観光客がNSNで「dragon eye」と紹介して一気に拡散、有名になりました。
昨年逝去された研究室の恩師の追悼講演会と偲ぶ会に出席するため仙台へ。
櫻井英樹東北大学名誉教授は、30代で教授に就任、有機ケイ素化学を先導してこられた業績で、恩賜賞・日本学士院賞など国内外の受賞多数、日本化学会会長などを歴任。
先生には指導教官としてお世話になっただけでなく、結婚の際には媒酌人もお願いしました。毎年東浦のぶどうをお送りしていましたが、近年「こんなに食べきれないから」と仰るので少しづつお送りする量を減らしていました。
講演会では、並み居る大学の先生や企業の研究者の中で、私も”変わり種の卒業生”として、「有機ケイ素化学と地方自治」のタイトルで、東浦町の紹介、これまでの自分史、地方自治に携わるようになった経緯、町長になってやったこと、今自分が取り組んでいること、などをお話ししました。
当時のメンバーと久し振りに会うことができて、とても懐かしいひとときとなりました。
帰りは、上越線の各駅停車で”国境の長いトンネル”を越えて水上方面へ。
越後湯沢駅を出ると前方に山が迫ってくる。越後中里駅を過ぎると上下線は別ルートとなり、上り線は松川ループトンネルに入って標高を稼ぐ、土樽駅を出発するとすぐに清水トンネルに入る。
清水トンネルは上越国境の谷川岳の山腹を貫く長さ9,702mのトンネル。1931年(昭和6年)の完成当時、東洋一の長大トンネルだった。
清水トンネルを抜けるとすぐに土合駅。土合駅を出ると湯桧曽ループに入って湯桧曽駅に向かって回りながら降りていく。湯桧曽駅から再び上下線が一緒になる。ループは、トンネル坑口の標高をできるだけ高くし峠越えのトンネル延長を短くするための当時の工夫だった。
上越線複線化に伴い、1967年(昭和42年)に完成した下り線用の新清水トンネル(13,490m)では、湯桧曽駅手前からいきなりトンネルに入り、ループ線を採用していない。なので、土合駅の地点では上り線の81m地下を通っている。
新清水トンネル内にある土合駅の下りホームまで行くには486段もの階段を降りなければならない「日本一のモグラ駅」となっている。
実際に行ってみると、東京からモグラ駅に到着した登山者がこの階段でバテるというジョークがわかる気がする。
天気がとても良いので、土合で途中下車、天神平に行ってきた。
上に登ったら、快晴、無風、圧巻の360°パノラマがすごかった!
雲一つない快晴。
武尊山~奥利根の山々~谷川連峰までのパノラマ。
谷川岳から関東方面のパノラマ。
榛名山、赤城山、武尊山など群馬の山も見えます。
土合駅から再び上り電車に乗る。水上で高崎行きに乗り換え、来た方向を振り返る。
谷川連峰ともお別れです。
六日町駅の東口を出ると魚野川を隔てた真っ正面に坂戸山がそびえている。ここは坂戸城といって、上杉謙信の後継者となった上杉景勝の生家、上田長尾家の居城があった所。
堀跡のある登り口の標高は160mほど。そこからカタクリが群生する残雪の登山道を1時間半くらい上がると坂戸山頂(標高634m)に着く。本丸のあった山頂にはお堂が建っていて、360°の眺望が素晴らしい。
近くには巻機山~中ノ岳~八海山などの2000m前後の山々、さらに遠くは守門岳。真下には魚野川が流れる魚沼盆地、そして魚野川の上流に目を向けると苗場山をはじめ上越国境の山々が手に取るように見える。毎日登っているという地元の方が、一つ一つ丁寧に山の名前を教えてくれた。
景勝の城だっただけあって、まさに景勝地(scenic spot)だ。
巻機山~中ノ岳~八海山などの2000m前後の山々、そして守門岳と続くパノラマ。
真下には雪解け水が滔滔と流れる魚野川と魚沼盆地、
そして魚野川の上流に目を向けると苗場山をはじめ上越国境の山々が続くパノラマ。
越後湯沢駅のぽんしゅ館へ。100種以上の新潟の酒をよりどりみどりで有料試飲できる。
日本酒は、ワインと並ぶ世界に冠たる醸造酒である事は間違いないが、原料品種や産地の多様性、エイジングの奥深さについてはワインに叶わないのではと思う。しかし、なかなかどうして、日本酒にも多様な香りと味わいがあることを改めて思い知った気がする。
指定のコインを入れると、おちょこに酒が注がれるのだが、心憎いのは5コイン(500円)単位でしか売ってくれないこと。もう一つだけ試してみようと思うと、5枚買い足すことになり、またもう一杯の繰り返しになってしまうのだ。
〆は、向かいの蕎麦屋で”へぎそば”をいただいた。
上善如水は越後湯沢の地酒、駅からすぐの所に醸造所があります。
鶴齢はおとなり、南魚沼の塩沢に酒蔵があります。
学生寮の同期会は、40年ぶりに会う人もいて、互いに自叙伝を語り合う自己紹介に始まり、懐かしい話やら今の話やらで盛り上がった。
翌日は、昔勤めていた会社の友人夫婦と自由が丘で待ち合わせ。昼食を挟んで話に花が咲いた。友人はプロとして仕事をこなす傍ら、車やギターや昆虫にやたら詳しかった。なかでもギターはバンドも組むし、専門雑誌の連載記事を執筆していたくらいだ。植物や土いじりには一切関心がない。
その彼が、退職してから薔薇に凝りはじめたのだそうだ。それで、自由が丘のバラとミツバチを育てるボランティア団体に入会して、駅周辺の街路のバラの世話をしているという。この話があまりにも意外で面白かった。
このあと、せっかく東京まで来たので、上越新幹線で新潟方面に向かうことにした。連休最終日、東京着の新幹線は大混雑、”とき”の自由席は余裕で乗れた。
今年のGW、自動車メーカーは11連休らしい。連休初めに、ふと映画を観に行った。「はたらく細胞」を観ようと思って見過ごしてしまったのだが、やってる映画館を見つけて星ヶ丘まで行ってきた。星ヶ丘の三越の9階に小さな映画館があって、百貨店の客層を考えた独自の上映をしているそうだ。観客は結構多くて、予告編などなしで時間通りに始まってびっくり。血液細胞の活躍をパロった映画は、単純なストーリーながらなかなか良くできていて楽しめた。
せっかく、星ヶ丘まで来たのだから久し(うん十年?)振りに東山植物園を散歩した。ガラス張りの水晶宮(大温室)は、現存する国内最古の公共温室で国指定の重要文化財。動物園の恐竜たちは今でも健在。上池は、カップルで漕ぐと別れるらしいと言う都市伝説に立ち向かう若者たちで賑わっていた。
東山公園散策のあと、セントラルパークの地下街の角打ちヘ行ったら、ちょうど地元の生道井(原田酒蔵)さんが試飲会をやっていた。若水の少し濁った搾りたては意外にさっぱり、飲み心地がいい。初めて飲んだかも。
この日は映画の二本立てを決め込んでいたので、次に伏見のミリオン座へ。ここも単館系で、数年前に引っ越しリニューアル、1階のカフェは映画館のロビーにしては居心地が良くて賑わっている。目当ての映画は「教皇選挙」。本物のコンクラーヴェがまもなく始まろうとしているせいかほぼ満席だった。
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