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2005/01/29

つれづれなるままに

「ブログ」ってなんだろう??
いまだによくわからないにもかかわらず、まずは始めてみようと言うことで、
徒然なるままに、書きつづることにします。

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コメント

神谷さん、いよいよ本格的にWeblog運用ですね。海住さん、みどりさんが始められましたので、慌てて「おぢさんの見聞日記」を整理し見やすくしました。
 昨日から、携帯からでもアップできるようにしました。もちろん携帯からも見ることができます。しかし、写真は残念ながら見ることができないのが残念。一工夫必要です。
 これからも宜しくお願いします。
LINKしますので宜しく。

投稿: 山田 けんじ | 2005/01/30 09:26

古典」=実生活、とくに行政とは縁遠いテーマですがここのブログの名に関係してかつ専門家のウンチクが詰め込まれていて、かつ"徒然草"が日本語の書き言葉の原典であると話されているので(もしご存じなければと思い)コメントします。以前に購入してあった「これで古典がよくわかる」橋本治著を思い切って読み始めて読み終わりました。初版は1997年11月で古い本ですが、やさしいことばで徒然草までの主な古典を説明しながら"徒然草"の意義を説いておられます。徒然草になって訳さなくてもわかる文章になった。という歴史的な位置をなるほどなと思いました。徒然草および兼好法師が現れた歴史的意義について説明されています。しかし、さらに大切なことを書かれています。「古典をわかる上で必要なのは"教養を身につけるために本を読む"じゃなくて"行き当たりばったりで、へーといって感心してる"方なんです。」p170___われわれのもっている本来の感性、ことば以前の智慧を大切にしなさいよといわれている感じをわたしは受けています。"和歌というのは「学ぶべき教養」じゃなくて「人間そのもの」なんです。そして、この「和歌」ということばはそのまま「日本の古典」というものに置き換えられます。"p181__このブログの名前に圧倒的な重さを与えてくれる本でもあると思い、余計なコメントをいたします。

投稿: とだ-k | 2014/12/23 09:34

文字が違っていました。
>日本語の書き言葉の原典---原点ですね。
失礼しました。

投稿: とだ-k | 2014/12/23 09:37

作家 宮下奈都(3) 『兄 ⼩林秀雄との対話_2016/9/29付⽇本経済新聞 ⼣刊から「徒然草」のこと
http://www.nikkei.com/paper/print-article/?R_FLG=0&b=20160929...
実妹である⾼⾒沢潤⼦(『のらくろ』の⽥河⽔泡の妻)が⼩林秀雄の難しい書物をもっとわかりやすく伝えられないかと、実際に対話しながら書き起こしたものである。--略---
この記事を読み著書を入手していま読んでいます。
「兄 ⼩林秀雄との対話」p92-93
「兄さんは、「徒然草」のことも書いていたけど、"つれづれなるままに"っていうあの書き出しは"することがないままに、たいくつをまぎらすために"というようにわたしもおそわったわ。」
「つれづれっていうことばを、兼好のように辛辣な意味で使った人は、ほかにないだろうね。兼好は、"何もすることがなくて困っている人の気が知れない。たいくつをまぎらすということをしないで、ただひとりでいたほうがどんなにいいかわからない"といって、つれづれであること、つまり何もしないで、ただひとりでいるということの幸福と不幸のことを言いたかったんだよ。つれづれを困ったり、さびしがったりする人は、つれづれを知らない。兼好はつれづれなるままに「徒然草」を書いたのであって、つれづれをつらく思ったり、退屈したりして書いたのではない。だから、書いて気を紛らしたのではない。それどころか、目がさえかえって、いよいよものが見えすぎ、物がわかりすぎるつらさを"あやしうこそ物狂ほしけれ"といっているのだ。---略---だけど、文章は本当に簡単で、ほんの少ししか語っていない。---略---

投稿: | 2016/10/09 17:03

さきの投稿が名無しの権べいになっていました。
作家 宮下奈都(3) 『兄 ⼩林秀雄との対話_2016/9/29付⽇本経済新聞 ⼣刊から「徒然草」のこと

投稿: とだ-k | 2016/10/09 17:07

「つれづれ」「徒然」と題したブログは、いっぱいあるんですよね。
当時ブログの入門編に「だれでも使うようなタイトルは、他の多くの中にうずもれて、検索にもヒットしづらい」みたいな記述があったのを覚えています。
当時は、こんなに毎日更新することも想定していなかったですし、ま~、とにかく気軽な気持ちで“なんとなく”情報発信をするんだ、タイトルも後で変えればいいし、くらいな軽いノリで始めたのでした。
その点、兼好法師は深い洞察の吐露だったのでしょうか。徒然草の書き出しと締めくくりを比べてみたいところです。(古典で習ってからたぶん読んでおりませんので。)
「目がさえかえって、いよいよものが見えすぎ、物がわかりすぎるつらさを"あやしうこそ物狂ほしけれ"と」の境地には程遠いですが、ぜひこれをわかってほしいと気合を入れたり、夜更かしして書くことが億劫にになったりを繰り返しながら、「つれづれログ」を続けて参りたいと思います。
励まし、ありがとうございます。

投稿: 神谷明彦 | 2016/10/15 08:54

ことしは開花宣言の都市の順番が例年と少し違って見えます。温暖と思われる静岡が遅いような気がします。わたしが明日参加予定の古寺の多い京都南部の玉水(橘諸兄の里)は開花がまだとのことで4/10になりました。ところで、
桜から連想する人は、兼好、西行、本居宣長、小林秀雄、、、、、
桜と兼好__新聞記事です。
2017/4/2付 日本経済新聞 朝刊 春秋欄 全文です。
 数日前の夕、東京の上野公園に足を運んだ。三分咲きほどのサクラの下、青のシートに料理や飲み物を並べ若者たちがはしゃいでいる。ロープを張った中で1人スマホに見入る場所取りの男性もいた。花見は春を祝い、野外で酒食をともにする古くからの習わしである。
▼主役のソメイヨシノは江戸末期に人工的に作られ、明治に入って東京・染井の植木店が広めたという。おびただしい数の花と散り際の美しさが見る者を酔わせる。かつての代表ヤマザクラは「やまとごころ」の象徴として歌にも詠まれた。こちらは開花と同時に若葉も出る。往時の花見の風情は現代とはかなり違ったろう。
▼「花は満開の時だけをめでるものなのだろうか」と徒然草で兼好は書いた。続けて「近く咲きそうな枝先や、花びらが散っている庭も見どころが多い」と訴える。「家を出ずに花のさまを思い描くのもまたよい」。今風の言葉でいえば「エア花見」か。花好きを前面に出さずに、静かに趣を味わうのが風流人だ、ともいう。
▼サクラ前線は5月までひと月半かけ列島を染めて行く。時至れば咲き、散る。兼好は知性と感性を総動員し、花を味わいつくそうとしていたかにみえる。その姿勢に自然の摂理への畏敬が潜んでいよう。むろん、我々の心の底にも備わっているはずだ。花の下にたたずめる回数には限りがある。騒ぐだけではもったいない。

投稿: とだ-k | 2017/04/02 16:49

昔は、例えば吉野の桜は、山桜なので、基本は白。ピンクの風情はありません。
敢えて言うなら、若葉が赤みがかっているので、葉の赤と花の白が混ざったピンクだったのではと、吉野のお坊さんから聞いたことがあります。

投稿: 神谷明彦 | 2017/04/19 09:03

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