小学校の授業で出した宿題のフィードバック
5年生の皆さんへ
神谷明彦より
厄松池の掃除お疲れ様でした
たくさんの皆さんが、服がドロドロになりながらも、ゴミを拾ってくれたおかげで、厄松池がとてもきれいになりました。普段、ゴミのポイ捨てをする人でも、あれだけきれいになっていると捨てるのをためらうかもしれませんね。 池には深いところもあるので、普段はガードレールの内側に入らないようにしましょう。
風が吹けば桶屋が儲かる
ところで、10月に厄松池の環境について授業をしたときに、時間切れで説明が不十分だったことがありました。 皆さん、「風が吹けば桶屋が儲かる」と言う言葉を聞いたことがありますか? これは、「強い風が吹くと、それが小さな原因になって、まわりまわってついには、風とは一見何の関係もなさそうな桶屋さんが繁盛する」という意味のたとえ話です。どうして桶屋が儲かるかを説明するには、次のような何段階もの複雑なステップを踏まなければなりません。
風が吹く
↓
目にほこりが入って目の見えない人が増える |
↓
三味線弾きが増える (昔は、目の不自由な人が生計を立てるために三味線や琵琶の奏者になったものでした) |
↓
猫が減る(三味線の皮は猫の皮を使います) |
↓
ネズミが増える |
↓
伝染病が流行る(ネズミはペストなどの伝染病を媒介します) |
↓
死人が増える |
↓
棺桶が必要になる |
↓
桶屋が儲かる |
こんな具合に、(実際にはありえないことですが、)風が吹くことによって、思いもしないところに影響が出ることになります。
なお、「風が吹けば桶屋が儲かる」の途中の過程については、色々な説がありますので、皆さんのおうちの人にも聞いてみてください。
環境問題では、まさに「風が吹けば桶屋が儲かる」の例えのとおり、私たちの普段の生活がとんでもないところで、地球全体の環境に影響を及ぼしていたりします。地球温暖化やオゾンホールの拡大はまさにそのよい例です。「物を燃やすと海面上昇をまねく?」「フロン入りスプレーを使うと皮膚がんになる?」など、二酸化炭素やフロンガスの排出が、地球全体の環境を狂わせて、ひいては私たちの生活に降りかかってくるなんて想像できますか?
このような、原因と結果の関係のことを難しい言葉で「因果関係」と呼んでいます。複雑な因果関係を証明することは、とても難しいことです。実際に、地球温暖化の原因として二酸化炭素が疑われていますが、これはまだ証明されてはいません。証明されるのを待っていては手遅れになる可能性が強いので、先に、疑いの強い二酸化炭素の排出を制限しようとしているのです。水質汚染公害で有名な水俣病も、化学工場から排出された有機水銀が原因であることが証明されるまで、長い年月を要しました。
以上のように、環境に限らず様々な問題に、複雑な因果関係が絡んでいます。池に汚い水を流したところで、池にゴミを捨てたところで、捨てた人がすぐに直接、何かの不利益を被ることは無いかもしれません。しかし、そんなちょっとした行動が、まわり回って(海が汚れたり、伝染病が発生したりして)とんでもない結果となって私たち自身に振り返って来るかも知れないのです。
ボランティアも同じです。ボランティア活動をしたところで、すぐには見返りが無いかもしれないけれど、長い目でみると、私たち皆に良い結果をもたらすことになればすばらしいと思うのです。壊れやすいものを大切にする、弱い立場の人をいたわるといった行為も、回りまわって、自分のことを大切にすることに通じるのではないでしょうか。
厄松池はいつごろ造られたか?
授業中に「厄松池は何年前に造られましたか」という質問がありましたが、はっきりとお答えできませんでした。
東浦町郷土資料館で調べてもらったところ、江戸時代初期の寛文11年(1671年)に書かれた文書の中に、生路村にあるため池として「屋きま千池」「ホシナ池」「小太郎池」「上ノ池」「中ノ池」「切池」「はさま池」の名前が書かれているそうです。これらの中で「屋きま千池(やきまちいけ)」が現在の厄松池に該当するものと考えられます。昔の地名などは発音は同じでも、時代によって異なる漢字が使われることがしばしばありました。「大阪」は江戸時代よりも前には「大坂」と書いていましたし、「知立」は明治時代に入るまで「池鯉鮒」と書いていました。(おそらくため池の名前などは、発音に似た漢字(当て字)を適当に使っていたものと思われます。)
厄松池は少なくとも335年以上前からあったことがわかります。まるで文化財ですね。
参考までに、天保12年(1841年)の生路村絵図を添えておきます。神社や寺は現在と変わっていません。泉ヶ池の西にある「はさま池」は今は住宅地になっています。「亀池」と書いてあるのが現在の切池です。「中ノ池」の上には公民館が建っています。
少し読みにくいですが「焼松池」と書いてあるところが今の厄松池と厄松公園のあるところです。当時、厄松池の堤の上の道路は藤江に行くたった一つの道だったことがわかります。
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