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2008/07/30

まちの景観形成への市民参加手法の研究・・・水津功さんのおはなし

先月、講師をつとめた名古屋国際都市問題研究会(NIMRA)で、愛知県立芸術大学美術学部准教授の水津功さんが「景観資源の発掘と評価における画像情報の役割」と題してお話をされると聞いたので、会員でもないのに図々しくも顔を出してきました。水津さんは、モリコロパーク 県民公園づくり空間 ワークショップ(http://kamiya-a.cocolog-nifty.com/turezure/2008/01/post_af16.)でアドバイザーをやっていらっしゃる関係で存知上げていました。講演の内容はあたけのぶろぐでうまいこと紹介されているのでそちらを見ていただきたいと思います。

水津さんは、講演のイントロダクションをこう書かれています。
 今日の景観行政の現場には、様々な混乱が見られる。十分な調査が行われないまま年間5回程度しか開かれない委員会方式で景観の基本事項が決定されたり、景観資源の選定が現地を訪れる事無く写真判定のみで行われたり、議会で説明しやすい内容に偏ったり、経済的見返りが期待出来るという謳い文句で観光化に走ったり、その土地のささやかな特徴的事実を誇大妄想的にクローズアップして無理矢理キャラクター化したり、「水と緑と、、」といった空洞化したスローガンでお茶を濁したり、などなど。
 景観の問題は、一部の危機的状況を回避する場合以外、このような短期的に事業化可能であることを念頭に置いた方法では解決出来ない。
 行政にとって、開発者にとって、デザイナーにとって、そして何より市民にとって必要な、持続可能な景観構築の方法について考えてゆく。

以下は、私の感想です。
水津さんの専門は、ランドスケープデザイン(景観デザイン、空間デザイン)。実際のまちには設計する側が生み出せるものとそうでないもの(たとえば歴史、文化、自然、市民など)があって、結局デザインは住民によって評価されるし淘汰されることになります。そこで、水津さんは、地域住民が大切にしたいもの、共有しているものが明らかになれば、それがそこにふさわしいデザインということになるのではないかと考え、景観デザインへの市民参加手法を模索されています。

講演の中で紹介があったのは、碧南市の将来の景観デザインのための市民共通のツールを構築する試みです。ただでさえ、(よほどの歴史のあるまち以外)景観に無頓着な市町村が多い中で、それもすぐに役立つ保証のないデータベース的なものを、他に先駆けて大学の先生と共同で構築に取り組む碧南市の姿勢に驚きました。

その試みとは、
だれでも参加可能な、グーグルマップをベースにして地図上にケータイやデジカメで撮った自分のお気に入りの写真(できればコメントやデータとともに)をドンドン付け加えていく自己増殖型のデータベースhttp://www.bone-design.com/)を開設して、そこに市民からの情報を書き込んでもらおうというものです。水津さんは、歴史情報も載せて時系列で整理したり、エリア別に整理したりすれば、きっと何か見えてくるに違いないと自信ありげです。参加者の私的感受性を共有していくことによって公的な価値観が見えてくるのではと着想しているようで、何やら哲学的でもあります。おもしろい結果が出ることを期待します。Randscapebanking

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コメント

愛知県立芸術大学の高木です。
先日はNIMRA例会に参加していただきありがとうございました。
4月に芸大へ赴任して水津さんの仕事を知る機会があり、多くの方々に興味深い研究を知っていただきたいと思い、講師としてお呼びした次第です。
まちづくりに関して、また神谷さんとお話する機会があればと思っております。

投稿: 高木伸彦 | 2008/08/07 13:06

こちらこそありがとうございました。
実は、「景観」をどう扱ったらいいのか? 個人の趣味を超えた「地域の景観」「市民の景観」とはどんなものでありうるのか? 疑問に感じておりました。
そんな折に、一つの新しいアイディアを聞くことができて有意義でした。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 神谷 | 2008/08/08 04:04

こんにちわ
僕の研究に関する記事を書いていただきありがとうございました。
景観は個人的趣味か?公共的価値か?
確かに悩ましいですよね。
僕は、多くの人の為の「普遍性」を目指したデザインより、特定の個人のためにデザインされたモノが「結果的に兼ね備えてしまう普遍性」について考えることが好きです。
例えばイームズのラウンジチェア+オットマンは1956年に発表され、いまだに生産されているベストセラーですが、もともとビリーワイルダー(映画監督)の為に作られたものです。建築などは元来そういうものですよね。
景観に話を戻しますが、人間のリアルな生活感や欲求が反映されやすい私的なものは、人間的価値が内在しやすいのではないかと思います。最初から公共目的で作られるものが、結果的に誰にとってもよそよそしく白々しいものになりやすいのは当然でしょう。もし、多くの人が共感し、共有できるものに公共性があると考えるなら、それがそもそも私的な目的に作られたのか、公共の目的に作られたのかは、どちらでもいいのではないかと考えてみる。それが僕のスタンスです。
「公共」という概念を安易に定義するのは危険だと考える慎重派です。
このような考えはフランスの歴史学者アランコルバンの風景論に影響を受けています。「人間と風景」は和訳も出ております。
また、京都大学を今年退官された景観学の樋口忠彦先生とお話した際に、「けしきは最初は個人的なものですが、それらは共有されることで公共のものに変わってゆきます」とおっしゃっておりました。
確かにすぐに答えの出ない気の長いアプローチではありますが、辛抱強く続けてみようと思っています。
水津

投稿: isaosuiz | 2008/08/09 14:33

ご本人からコメントをいただき恐縮です。

「景観」は議会で議論しづらいテーマです。「それはアナタの個人的な趣味でしょう」と言われてしまうと反論する勇気はないし、自分の美的センスに自信があるわけでもありません。いきおい”屋外広告物”や”建物の色の規制”程度の話になりがちです。

おっしゃるように、景観は個人の趣味が集合して結果として出来上がってくるものなのでしょうね。
となれば、最初からそこにあるべき公共の景観を役所が決め付けるべきではないのか、あるいは、役所も一つの個人として(市長の趣味で西洋風建築を建てまくった北陸のまちのもあります。)景観の形成に積極的に参加する手もあるのか、悩ましいところです。

田園風景を考慮しない農業政策、全国一律の河川・道路行政、視認性と効率のみを重視したロードサイドの店舗、和式とも洋式ともつかない分譲住宅を見るにつけ、どうにかならないものかと思うのですが・・・。
田舎の田園風景や都市の伝統的な街並みを見るために、国内ではなくドイツやイタリアを観光しなければならないのは残念なことです。

投稿: 神谷 | 2008/08/15 12:39

おっしゃる通りと思います。ヨーロッパの伝統的な町並みの大半は、誰かが計画したものではなく、自然発生的に出来上がったものです。当時は自分たちの物理的欲求と文化的欲求を同時に満たしていった結果だったはずです。地域のコミュニティ自体が共同で建設に当たり、壊れれば皆で協力し合って修復したわけですから、統一感があって当然ですよね。今の建築はまるでカタログ販売のように、あらゆるスタイルが価格ごとにプリセットされていて、選びたい放題。そこにはコミュニティとか地域性とかその場所らしさとかいった視点は皆無です。自分の金で好きな車買って何が悪いって言うのと基本的に同じです。
選択肢が増えることが豊かさだと思ってしまった時代が確実にあったということですね。
それと、日本人は過去に対して頓着しないのが潔しというところがあるのか、とにかく、もともとそこにあるものを尊重してその上に積み上げようとしない。ぱっと新地にしてしまうわけです。まっさらで、おろしたてのスニーカーのように真っ白なのが商品価値だと思っている人たちがいるのです。土地は、商品である前に文化であること。その文化も含めて商品であることを信じない。根の深い問題です。

投稿: 水津 | 2008/08/19 00:35

 日本人が、もともとそこにあるものを大事にしないのは、国民性なのでしょうか。それとも、成熟社会になりきっていないだけなのか。あるいは、地震、台風、火事などの災害の起こりやすさとも関係するのでしょうか。

 そこにある大事にすべきものをその地域で自覚することが大事なのでしょうね。
 たとえば、秘境であるが故に観光地となったところがあるとします。そこに場違いな道路を整備して、観光客相手の店が立ち並ぶ。最初は繁盛するけど、そのうち見向きもされなくなります。一時的な金銭や便利さなど、どこにでもありそうなものを追求した結果、いつのまにかそこしかない大事なものを失ってしまうケースはたくさんあるのではないでしょうか。
 これは個人にも地方自治体にも蔓延している画一化した価値観と無縁ではないと思います。

投稿: 神谷 | 2008/08/20 11:31

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