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2008/08/24

公開講座「市民自治…我々はどう考え どう行動するか」で前我孫子市長 福嶋浩彦氏が講演

名古屋都市センターで行われた公開講座で前我孫子市長 福嶋浩彦さんの講演を聴きました。

1時間半お話を聞いてから、参加者からの質問や意見があり、福嶋さんが受け答え。しめて2時間半の予定時間があっという間に過ぎました。

福嶋さんは、地方自治法の原理原則に忠実に沿って市政運営をしてこられました。その論理は明快で大変わかりやすいものです。Dscn5705sc2_2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公開講座に参加した皆さんの反応はとても好評でした。ある方は「補助金の公募と市民審査」や「あびこ市民債」のアイディアに感心していました。「原則にかなっていて、おっしゃる通りだと思うが、議会の反発が怖い。」とコメントした方もいます。またある方は「議会と首長の関係、協働の考え方など、すごく納得できた。議員定数は議会の勝手にはさせないなど、原理原則を貫く姿勢に共感した。」と言っていました。

議員や行政職員以外の市民が多かったので、最初は「二元代表制」の話など少々難解かと心配しましたが、明快な説明に日頃のモヤモヤがすっきりした方が多かったのではないかと思います。

当然のことが、ほとんどのまちで実践されていないのが不思議です。他人ごとではなく我々自身の問題と捉えて対処していかねばなりません。今後とも福嶋さんが市民自治の伝道者として全国でご活躍されることを祈念したいと思います。

以下に、講演の内容をまとめてみました。(クリックで当日配布のレジュメをダウンロード

●地方自治とは何か

地方分権 主権者である市民が、国と自治体に権限を分けておく。

国から権限を分けてもらうわけではないので「権限委譲」ではなく「権限移譲」と書く。

行政の権限やお金をできる限り主権者市民に近いところへ置いてコントロールする。

●市民自治、市民参加

市民自治の土台は直接民主主義。直接民主主義に本来の価値があることを前提に、間接民主制で代替する。直接民主制を並立させることが大事。セーフティーネットとしての常設型住民投票条例は必要だし、日常的な市民の直接参加が不可欠になる。

<職員採用での民間試験委員>

採用試験官には民間から守秘義務のある特別職公務員を採用する形で対応。行政が見せたくないところこそ市民に参加してもらうべき。

<あびこ市民債の発行>

古利根沼の自然を開発から守るために、「あびこ市民債」を発行して買い取り資金を調達した。個人向け国債は資金の使い道が不明だが、使途が明確なあびこ市民債は拠出した自分のお金が生きるためか、国債よりも低金利だったにもかかわらず発行額の5倍もの購入希望者があった。

ほかにも「補助金の公募と市民審査」、「予算編成過程の公開とパブリックコメント」など、独自の市民参加手法を整えた。

市民の直接参加は、だれでも参加したい人が参加する。市民と行政(首長)の意見が異なる場合は、必ずしも行政は市民の意見に従う必要はない。首長は正しいと思ったことをすればよい。ただし、なぜ市民と異なる選択をするのか、逃げることなく生身の人間と向き合って、納得いくまで説明する責任がある。この緊張関係があって初めて市民の利益を追求しているといえる。

国の民主主義(議院内閣制)と自治体の民主主義(住民代表の首長と住民代表の議会による二元代表制)は質が違う。内閣は国民ではなく国会に責任を持つし、国民に国会を解散させたり、国会議員を罷免したりする権利はない。会計検査院に訴えることもできない。一方、地方自治体では、住民は首長をリコールする権利があるし、監査請求することができる。直接参加が前提だ。

地方自治体では、首長も議会も選んだのは主権者である市民。したがって、首長も議会もそれぞれ市民に対して説明責任がある。首長は議会に説明しただけでは説明責任を果たしたことにはならない。議会も市民に対する説明責任を果たさなければならない。最近、行政への市民参加は進んできたが、議会への市民参加は非常に遅れている。

首長と議会が市民参加を踏まえた活力を対抗させ合う緊張関係が二元代表制には必要だ。

市民参加の出発点は、迷惑施設の拒絶など個人的な要望やエゴであって当然だと思う。普段の市民は、個人の利害が関わって初めて関心を持ち、まち全体のことには概して無関心なものだ。

しかし、何か問題が生じたときに、行政や議会が市民と向き合うことをせずに何もしないと、本当に無関心を招いてしまう。だから問題が起こったときには逃げてはいけない。

●自治をリードする議会に

議院内閣制とは違って、二元代表制では与党も野党もない。政府・与党協議もない。ともに住民から直接選ばれた議会と首長がオープンな場で議論することが大切。

「個々の議員が行政に要望し、首長の提案に賛否を表明するだけの議会」から「政策や方針を議員同士が討論し『議会の意思』をまとめ自治体をリードする議会」へ脱皮するには、議員同士の自由討論、「議会の総意」で首長の提案を修正すること、議会として市民に説明責任を果たすことが不可欠。

(首長が執行責任者である)行政への市民参加は進んできたが、議会への市民参加は非常に遅れている。請願や陳情の際に、議会で市民が説明しているところは25%程度しかない。

●市民の公共をつくる

「公共」は市民の社会活動の総体。これまでは「公共=官(行政)」の思想だった。民は行政の下請けで、公共は官が支配していた。これからは、「市民の自立した活動」と「主権者市民にコントロールされた行政」が連携(協働)して、市民自治による「新しい公共」を創る。行政の中心的な役割は、市民の自立した活動の下支えと、公共全体のコーディネートだ。

●良い協働とは

「市民と行政の協働」と一口に言うが、ここでいう「市民」とはNPOやボランティアや企業などのサービスの提供者「事業者市民」であって、主権者市民ではない。(主権者市民は行政をコントロールする存在。)サービスの受け手としての「受益者市民」もあるはず。したがって、事業者市民と行政の関係がうまくいっているからと言って必ずしも協働がうまくいっているとはいえない。たとえ、事業者市民と行政の喧嘩が絶えなくても、受益者市民が満足している協働が良い協働だ。

●市民も自治の力を高める

市民も「自分たちのことは自分たちで決める」自治の力を高めることが不可欠。

違う意見、異なる利害関係を持つ市民同士がきちんと対話し、お互いに納得できる合意を自ら創り出す力が必要。陳情政治から、市民自治につながる市民参加への転換をせねばならない。

市民は話し合いを避けて個々に行政に要望しがちだから、行政には市民同士の対話をコーディネートする力が必要だ。

意見の違いがある案件は、昔は市民参加には向かないと言われたが、対立のある案件こそ市民参加で解決すべきだ。(意見の違いが小さい案件は市民参加の練習にはなるが。)

●二元代表制の確立を

一元代表制のほうがよいという人もいるが、制度のせいにすべきではない。二元代表制を機能させていない議会や首長に問題がある。

地方議員のミニ国会議員気分と議会と首長の談合体質が問題。議会は意思決定機関としての議会の役目を発揮すべきだ。

日本の地方政治に政党政治は機能していない。政党が市民と向き合って地方の市民意見を地方自治や国政に反映させているというよりは、地方議員が親分の選挙を手伝うための組織になっているだけ。地方で政党政治が機能していないのに議院内閣制をマネるのは無理。

どちらの制度を採用するか地方自治体による選択制になってもよいが、まずは現在の地方自治法に則った二元代表制を確立すべきだ。

~その他、ディスカッションの中から~

●否決された議会基本条例案

国民は憲法の順守義務者ではない。憲法は国民が国家に守らせるものだ。

それと同様に、市民が首長と議会を縛るのが自治基本条例だ。我孫子市の場合は市長と市民で理想を出し合って、議会でよく議論して修正してもらうつもりにしていた。

議員定数は4年を超えない期間ごとに市民の意見を聴くこととした。これに対して議会の同意が得られずに、結局、議会基本条例案は議会で否決された。自分たちの議員定数を議会がお手盛りで決めるのはおかしい。これは市長として譲れない線だった。

●首長は長くて3期まで

人それぞれ得意な分野があるので、それを生かしてまちづくりをすればよい。おなじ首長が長く続くと偏ることになるので、首長が適度に交代することによってバランスのとれたまちづくりができる。

●議長の選び方を変えては

議長ポストは一年ごとにたらい回しするのではなく、議会改革のリーダーシップをとれる人が選挙で選ばれるべきだ。議長立候補者は、議長権限の範囲内でマニフェストをつくり市民にも広報すべきだ。

●議会は責任感が希薄

首長から見て、議会は意思決定機関としての責任感が希薄だ。ある条例が議会で通って施行後に問題が起きたとすると、首長は議会で責任を追及されることになる。しかし、提案した首長も悪いが、可決した議会はもっと悪い。

●高層マンションなどの開発を条例で止められるか

法律で認められていることを条例で禁止することはできない。ただし法律さえ守ればいいでは、まちはめちゃくちゃになる。事業者をテーブルに着かせるための条例は必要だ。それにしても都市計画の地方分権は遅れていると思う。

●日本の民主主義教育

戦後60年の折に平和事業を企画したことがある。単によくある「60年前の記憶を伝えよう」ではなくて、イラク問題を取り上げて、人質経験者と平和運動家と自衛隊の隊長を呼んでディスカッションをしたところとても好評だった。しかし、平和運動をしている人たちから、自衛隊の隊長を呼ぶなと圧力がかかっていた。話し合う前に拒絶する発想こそ戦争の発想だ。

日本には、批判をし合いながら新しい合意を導く喜びを知る教育がない。いきなり多数決の住民投票も危険だ。採決の前に双方の立場から十分に議論を尽くしたうえで、多数決を取るべきだ。

●自己決定したくない首長たち

市民自治は、市民自らが責任を持って自己決定し、決めたことを実行すること。道路特定財源の議論に見られるように、知事会が補助金の存続を国にお願いするような行為は、地方自治の自殺行為だ。よほど自分のことを自分で決めたくないとしか思えない。

  参考:幻の自治基本条例(否決された我孫子市自治基本条例案)をダウンロード

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