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町内石浜地区にある永見池です。昔の街道沿いでしょうか?県道からちょっとだけ奥まったところにある静かな池です。いま白や黄色のスイレンが見ごろです。
堤の畔にはお地蔵さんがあります。いつ頃つくられたのでしょうか。どんないわれがあるのかどなたかご存知ですか?
こちらは、上三ツ池。ここにも堤の畔にお地蔵さんがありました。
上三ツ池のある、このあたりは自然環境学習の森に隣接した区域で、平成になって工場ができるまでは一団の里山になっていました。
最近の航空写真 1987年(昭和62年当時)の航空写真
2009/07/05 日記・コラム・つぶやき, ため池・水辺, 季節・自然 | 固定リンク Tweet
航空写真で比較すると、どれだけ里山が減ったかが一目瞭然ですね。ところで昔は、これほど広い里山をどうやって維持管理されていたのでしょうか?
投稿: 絵本の虫 | 2009/07/07 00:22
昔は、水源林でもあり、山の幸がとれる場、落葉など堆肥の原料や薪などの燃料採取の場だったのでしょう。 愛知用水ができて石油が普及するにしたがって、里山の食料・エネルギー資源としての価値は低下していきました。 採取活動そのものが「維持管理」だったのですが、里山がメインの炭素資源だったために、戦前の写真などをみると愛知県は禿山だらけだったことがわかります。
投稿: 神谷 | 2009/07/08 00:18
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航空写真で比較すると、どれだけ里山が減ったかが一目瞭然ですね。ところで昔は、これほど広い里山をどうやって維持管理されていたのでしょうか?
投稿: 絵本の虫 | 2009/07/07 00:22
昔は、水源林でもあり、山の幸がとれる場、落葉など堆肥の原料や薪などの燃料採取の場だったのでしょう。
愛知用水ができて石油が普及するにしたがって、里山の食料・エネルギー資源としての価値は低下していきました。
採取活動そのものが「維持管理」だったのですが、里山がメインの炭素資源だったために、戦前の写真などをみると愛知県は禿山だらけだったことがわかります。
投稿: 神谷 | 2009/07/08 00:18