永見池の睡蓮、お地蔵さん、上三ツ池周辺のいまむかし
« お相撲さんがやって来た | トップページ | 桔梗の英名は「バルーンフラワー」 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- スーパーブルームーン(2023.08.31)
- 8月21日は、新町長の初登庁と就任式でした(2023.08.22)
- 暑い中にも秋の兆し(2023.08.20)
- medias退任インタビュー、新聞記事など(2023.08.21)
- 休日を一日のんびり過ごしました。(2023.08.19)
「ため池・水辺」カテゴリの記事
- 豆搗川沿いの桜並木を育てよう・・・2025年初めての草刈をしました(2025.05.04)
- 映画館をハシゴ、合間に公園散策&立呑み(2025.04.27)
- 於大まつりは満開の八重桜と天候に恵まれて(2025.04.19)
- 豆搗川沿いの桜並木が開花中(2025.04.03)
- 豆搗川沿いの桜並木遊歩道にも春の訪れ(2025.03.24)
「季節・自然」カテゴリの記事
- 豆搗川沿いの桜並木を育てよう・・・2025年初めての草刈をしました(2025.05.04)
- まるで滝のよう(2025.04.27)
- 小学校の筍掘り(2025.04.26)
- 地元の山の幸を楽しんでいます(2025.04.22)
- 於大まつりは満開の八重桜と天候に恵まれて(2025.04.19)
航空写真で比較すると、どれだけ里山が減ったかが一目瞭然ですね。ところで昔は、これほど広い里山をどうやって維持管理されていたのでしょうか?
投稿: 絵本の虫 | 2009/07/07 00:22
昔は、水源林でもあり、山の幸がとれる場、落葉など堆肥の原料や薪などの燃料採取の場だったのでしょう。
愛知用水ができて石油が普及するにしたがって、里山の食料・エネルギー資源としての価値は低下していきました。
採取活動そのものが「維持管理」だったのですが、里山がメインの炭素資源だったために、戦前の写真などをみると愛知県は禿山だらけだったことがわかります。
投稿: 神谷 | 2009/07/08 00:18