憧れのカナダ大自然を巡る8日間 紀行文
旧東海道の徒歩紀行文を寄せてくださる町内在住の方から、カナダ旅行の紀行文をいただきました。
トロント、ナイアガラからカナディアンロッキーを経て、バンクーバー、ビクトリアへの旅です。旅先で出会ったこと、感じたことが作者の言葉で書かれています。
「canada-vol1.pdf」をダウンロード(出発~トロント~ナイアガラ)
「canada-vol2.pdf」をダウンロード(ナイアガラ~カルガリー~バンフ)
「canada-vol3.pdf」をダウンロード(バンフ~ルイーズ湖~アサバスカ氷河)
「canada-vol4.pdf」をダウンロード(バンフ~バンクーバー)
「canada-vol5.pdf」をダウンロード(バンクーバー~ビクトリア~帰着)
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コメント
町内のみならずカナダまで! 紀行文を記録に残しておられて素晴らしいですね。
カナダ側からのナイアガラ・・・私は見るはずが見られなかっただけに、感慨深く拝見しました。
バンクーバーとビクトリアは仕事で何度か行きましたが、美しい街並みが全く変わっていないので嬉しく思いました。ブッチャート・ガーデンも久しく忘れていましたが、そういえば行ったなぁと。。。自分の紀行文を残しておくべきでした^^;
投稿: 絵本の虫 | 2009/10/06 15:56
もう20年前の話ですが、実は私もバンクーバーに2ヵ月ほどいたことがあります。そのときにビクトリアやバンフやジャスパーも行きました。
私は日記などつけたことはありませんが、写真はたくさん撮っています。
ある日、愛用のカメラを路線バスの中に忘れてきてしまって焦ったことがありましたが、さすがカナダ、ちゃんと出てきました。
投稿: かみや | 2009/10/08 00:44
私はビクトリアといえば、なぜかアフタヌーンティー^^; そして「さすがカナダ」で思い出したのが、道路を渡ろうか迷っているだけでも、すぐに車が一斉に止まってくれて、渡らざるをえなくなったことです。横断歩道に立っていても、一向に停まってもらえない当地とは大違いでした。
投稿: 絵本の虫 | 2009/10/09 00:14
お店の駐車場の障がい者用駐車スペースはいつも空けてあるし、公園のトイレはきれいだし、何かにつけてキチンとしてましたね。「公共心」でしょうか。
そういえば、レポート用紙の両面に文章を書かなかったら、この紙はカナダの森林を伐採して造られているのにと叱られたことがありました。
投稿: かみや | 2009/10/09 02:43
キチンとしていたのは、各家庭の芝生の手入れも素晴らしかったですね。どうしたらあのような「公共心」が育つのか知りたいところです。
バンクーバーでは勉強されていたのですね。私はその頃、アメリカでレポートを書いてましたが、両面に文章を書かなくても大丈夫でした。 それどころか、1文字でもミスタイプがあったら受け付けないと言われ、何枚も用紙を無駄にした覚えがあります^^;
投稿: 絵本の虫 | 2009/10/10 00:57
正確に言うと、勉強でも、仕事でもありません。転職の隙間にできた時間を利用して一人旅に行っただけです。
でも、全くしゃべれないし、やることもないので、ホームステイして、語学学校に通っていたのでした。
日本人はグラマーのペーパーテストをやるとダントツ上位なのですが、口からでまかせでしゃべるほうは、メキシコ人、スイス人、華人などにはかないません。同時に、漫然と1~2ヶ月海外にいたところで、しゃべれるようになるのは幻想に過ぎないこともわかりました。
当時はバブルの真っ最中、時間に余裕のある大学生、トラバーユ組や日本の学校になじめない人、など、10代~30代くらいの日本人がたくさんいました。
バンクーバーは、落ち着いていて治安も良く(合衆国に比べると刺激は物足りないものがありますが)、地理的・心理的に距離が近いせいか、そんな日本人や、当時台頭目覚しかった台湾、香港(中国返還を怖がって避難している人もたくさんいました)の人たちでにぎわっていました。
投稿: かみや | 2009/10/10 10:46
私も似たようなホームステイ&語学研修や一人旅をしたことがあるので、おっしゃる意味が痛いほどわかります。日本人は必要に迫られていないから語学力が伸びないのだという意見がありますが、必要に迫られたとしても自己主張できない国民性が、話せない要因のひとつだと私は思います。
今、『いい加減な人ほど英語ができる』という新書を知人からいただいて読んでいるのですが、確かにそういう面もありますね。ミスを恐れていたら、しゃべれませんから。。。
それはそうと、バンクーバーに中華料理店が多かったのは、そういう背景あってのことだったんですね。
投稿: 絵本の虫 | 2009/10/11 00:04
バンクーバーのチャイナタウンは、サンフランシスコに次いで、北米第二の規模と言われていました。
そこに縁者を頼って、あるいは住みやすさを期待して、移り住む人がたくさんいたのだと思います。
投稿: かみや | 2009/10/13 12:43