水野家の家系
6月1日発行の東浦町文化協会の広報誌「東浦文化」に『水野氏の本家』と題した記事がありました。
水野氏は、戦国時代、緒川・刈谷を本拠地にしていた豪族で、徳川家康の生母於大の実家。織田、今川の勢力の間を生き残り、関ヶ原では東軍につき、やがて本家は備後福山藩(いまの広島県福山市一帯)十万石の藩主となります。しかし、跡継ぎが相次いで亡くなり、五代で家系は一旦断絶。その後、四代の又従兄弟が能登で小藩を再興しました。他にもあちこちに水野家の傍系があるようですが、養子や転封でどこがどうつながっているのかとても複雑です。
天保の改革で有名な老中水野忠邦は、忠政の孫、忠守を祖とする下総山川(いまの茨城県結城市)の水野家の系統で、唐津(25万石)藩主だったときに浜松(15万石)への転封を願い出たのをきっかけに幕閣に入ることになります。水野家ゆかりの地は日本全国にたくさんあるようです。
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