震災の復興に一体いくらかかるのだろうか?
東日本大震災で被災した東北地方の復興には、巨額の費用が必要とされているが、はたしていくらかかるのだろうか。巷で言われる数十兆円?は高すぎるのではないだろうか。東京財団のホームページに復興費用についての以下の論考が載っている。
論考では、震災復興のための資金を公共事業につぎ込むよりは、個人資産の復活を支援したほうがはるかに効率が良いと主張していて、説得力を感じる。
論考の趣旨からは外れるが、個人的には、三陸の高台の山を削り谷を埋めて新たな住宅地を造っても、生活の基盤が海辺にある限り、100年も経てば人々は海辺に下りてきて生活することになるのではと思えてならない。
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被災者一人当たり4,000万円の復興費 !?
震災復興のために第1次補正予算4兆円が通り、第2次の補正予算に10-15兆円が必要と議論されている。しかし、本当にそのような巨額の復興費が必要なのだろうか。
「震災復興論議に欠けていること」(11/05/11)でも書いたように、そもそも何十兆円も壊れていない。大和総研の推計によると、東日本大震災で浸水した地域の人口は44万人である(大和総研「希望の灯を点せ―「東日本大震災」からの経済復興へのアイデア」参考・津波の被害状況、2011年6月1日)。浸水地域の人口には、床下浸水も含まれている。避難者はピークで40万人である。すると、今回の震災で重大な被害に遭われた方は50万人以下ではないだろうか。
震災復興予算が最終的に総額20兆円だとすると、被災者一人当たり4,000万円の復興費をかけることになる。ところが、そもそも、日本全体の物的資産の額は1,184兆円(うち民間部門が617兆円、公的部門が567兆円-内閣府「国民経済計算」)、日本の人口が1億2,691万人だから、日本人一人当たり933万円の物的資産しか持っていない。民間、公的の資本を元に戻しても、4兆円で復旧できるのではないだろうか。
奥尻でも阪神・淡路でも巨額の予算を使った
復興予算がやたらに大きくなるのは今回だけではない。1993年の北海道南西沖地震では、奥尻島に被害が集中し、人口約4,700人の島で、202人、行方不明者28人という惨事となった。復興のために、350億円かけて、総延長14km、高さ11メートルの防潮堤、26億円かけて津波避難のための人工地盤-望海橋など、合わせて760億円の復興費をかけた。うち、町の負担は160億円である。それでも、震災時405人いた漁業組合員は現在197人に(朝日新聞2011年5月30日)、人口は4,700人から3,160人に減った(町のホームページによる)。760億円の復興費を島の人口4,700人で割ると一人当たり1,620万円になるが、それでも復興していない。町の負担だけでも一人340万円である。町財政が危機に陥るのも当然だ。
1995年の阪神淡路大震災では、避難者数はピークで32万人だった。深刻な被災に合われた方は40万人以下だったのではないか。阪神淡路大震災では、16兆円の復興経費をかけているので、一人当たり4,000万円の復興費となっている。
日本人一人当たりの平均物的資産は933万円なのに、なぜ復興経費がこれほど大きくなるのか。もっとも被害を受けた長田区に行ってみれば分かる。消防車も通れない住宅密集地域の道路を広げ、延焼を防ぐために公園を作り、耐火性の高い建物にするのは分かる。公園に鉄人28号の原寸大模型を置くのも良い。しかし、新たに建設した高層マンションと拡大した商業施設にテナントが入っていない。シャッター通りを復旧するどころか、シャッター通りを新たに造ったのだ。シャッター通りの店舗一つに何千万円ずつかけていれば、一人4,000万円の復興費がかかったのも分かる。
この地域は、ケミカルシューズの製造拠点で、人々は自ら所得を得、誇りを持って生きていた。機械の減価償却は終り、物価も家賃も安いので、所得は低くても生活することができていた。ところが、製造機械を失い、分散して住むことを余儀なくされた人々は、仕事を失い、困窮するか生活保護に頼らざるを得ない状況に陥った。
道路と公園を確保して中層の耐火建築物を建て始めると同時に、中古機械を買い集め、バラック建設を許容してシューズ製造を開始していれば製造を続けることができたかもしれない。バラックから中層の防火住宅に順次移っていけばよかっただけだ。
復興の愚かさを認識すべき
復旧より復興と言われるが、現実になされた復興の愚かさをこそ認識すべきではないだろうか。幸か不幸か、復興予算はまだ通っていない。復興ではなく復旧を考えても良いのではないだろうか。それでは、避難所で苦労されている方をどうするのかと非難されるだろう。私は、被災者一人当たり月10万円を6か月間渡して、なんとか人間らしい生活をしてもらい、その間に理性を取り戻すべきだと思う。一人当たり4,000万円使うより、今60万円使って、まともな復旧策を考えた方が良い。
政治家や識者は、個人にお金を払うことが嫌いである。パチンコに使ってしまったらどうするとすぐに言う。しかし、政治家や識者のシャッター通り創造計画の無駄遣いに比べれば、パチンコなど可愛いものだ。マスコミはビジョンが好きだ。民主党内閣にビジョンがないという。本来のビジョンとはお金をかけずに人々を奮い立たすものだが、この国で語られるビジョンは、山を削って高台を造るなど、お金ばかりかかって人々を助ける効果の少ないものばかりだ。
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震災復興論議に欠けていること
大和総研顧問
原田 泰
震災復興については多くの議論がなされているが、なぜか議論されていないことがいくつかある。そのうちの5つの論点について書いてみたい。
1.今回復興に必要とされている投資規模は大きすぎるのではないか
内閣府が仮の数字としてストックの毀損額を16兆円から25兆円と発表したが(2011年3月23日)、復興投資に必要な投資規模はそれほど大きくはないのではないか。表は、大和総研が推計した東北3県(岩手・宮城・福島)の資本ストックの合計である。
表に見るように、震災で大きな被害を受けた東北3県の資本ストックは57兆円である。この地域の人口571万人、住宅237万戸(総務省「住宅・土地統計調査」2008年)に対して、死者14,662人、行方不明者11,019人、避難者127,076人、以上合わせて157,122人、建物被害(全壊、半壊、全焼半焼、浸水、一部破損など含む)366,731戸である(警察庁緊急災害警備本部、2011年4月30日)。震災の物的被害は57兆円の10-20%以下ではないだろうか。20%としても、民間部門5兆円、公的部門6兆円である。仮に民間部門の毀損額の半分を国が支援するとしても2.5兆円、公的部門の6兆円と合わせても8.5兆円以下ではないだろうか(福島原発事故の影響を考えていないので、これを考えればもっと大きくなるだろう)。
復興投資の規模が大きくなるのは、非効率な投資をすることと、公共投資だけで復興を図ろうとするからだ。非効率な投資の例として(実現しないことを望むが)、破壊されたシャッター通りを元通りに再建する、山を削って宅地を作る、湾岸にスーパー堤防を作るというような投資が挙げられる。
土地がないと言う人が多いが、現在の街から数キロ行けば、高齢化と過疎化で余った土地がある。この土地を買い上げて被災者に配る方が、新たに台地を作るより遥かに安上がりで、しかも早い。自然破壊にもならない。空き家も多い。空き家をリフォームしても良い。家の前がすぐ海で仕事場であれば便利だろうが、それは危険だから高台に住むべきだと言われている訳だ。高台から仕事場に行くにはいずれにしろ車に乗るしかない。一度、車に乗れば、1キロ走ろうが10キロ走ろうが同じだと私は思う。ただし、自分の船が見えるところでないと困るという人も多いらしい(ここは、三陸にボランティアに行かれた方から教えられた事実に基づいている)。
仮設住宅もコスト高の投資である。そのコストは、寒冷・豪雪地仕様だと一戸32平方メートルで500万円近い。そうであるなら、住宅の頭金として補助すれば良いのではないか。仮設ではなく、恒久的に住める家を作れば、人々は希望を持って働き出すことができる。東日本で数十万戸の恒久的な家を作るのは一大産業になる。農家や漁業者の多くは建設機械を扱える。これが不公平、建設が間に合わないと言うなら、親戚や近所の家族を2年間住まわせることを条件に頭金を補助しても良い。しばらく住んだ人が順番に自分の家を建てていけば良い。
公共投資だけで復興を図ろうとするとコスト高になるという議論の一部は、仮設住宅の例ですでに説明した。国家は、個人財産の復活を助けないという原則は、それなりの理屈はあるが、その理屈を守るために、割高な公共投資をすることが賢明とは思えない。むしろ、人々の個人財産の復活を直接援助した方が安く済む。
公共投資だけで復興を図ろうとするとコスト高になるという私の主張を説明するには、そもそも東日本の復興とは何かを議論する必要がある。東日本の復興とは、被災された人々が日常の生活と働く場所を取り戻すことだ。できれば、取り戻す以上のことができればなお良いということだろう。住宅は日常を取り戻す重要な手段だ。働く場所については次項で述べる。
2.東日本の復興とは何か
東日本の復興とは、東北の所得の源を復活させることだ。東北の所得の源は、農業・漁業・観光と90年代の後半から投資された電子、自動車のサプライチェーンにある。この両者を復活させることが震災復興である。電子、自動車産業の復活は、大企業の力に頼りつつ、その下請け企業に公的な援助をするということだろう。
農業・漁業は、個々の生産者が復活するものだが、微妙な協力関係がある。多くの人々が漁業を続けると考えれば、漁港が機能する。観光客を呼ぶ市場も、獲れた魚を加工する仕事場もできる。復活するかどうかは、多くの人の共同の覚悟による。中高年者は、住みなれた場所で、慣れた仕事をすれば力を発揮できるが、そうでなければ力を発揮できないだろう。この微妙な協力関係を、中央集権的に復旧させることはできない。私的財産の復活にある程度の支援をすることが一番効率的なのではないだろうか。
漁業で中心的な立場にあった人が、新たに家を建て、漁船を購入すれば、それは必ず復興するという覚悟を示すものになる。多くの人々が、その覚悟を信用して力を合わせることになる。
漁師はきわめて明確な人的資本を持っている。漁船の運転、魚の獲れる時期と場所、漁獲する能力、新鮮なままに市場に運ぶノウハウである。しかし、漁船という物的な資本がなければ人的資本は生かされない。であるのなら、個人財産の復活を援助するのが、もっとも安価な復興支援策になるのではないか。
個人財産の復活を援助しないのでは、大規模な公共事業で人々の所得を復活させるしかないということになる。より少ない税金の投入で済むのであれば、個人財産の復活を支援することが正当化されるのではないか。
実際には、政府もその方向で動いている。阪神・淡路大震災を契機に、個人の住宅の被災に対しても援助がなされるようになった。被災者生活再建支援法によって全壊世帯に最高300万円を支給する制度も創立された。今回の対応として、被災者に直接現金で手渡す被災者生活再建支援金の増額、被災者の住宅取得に伴う二重ローン(破壊された家と新しい家の二重のローン)の負担軽減、被災者が破産したとき手元に残せる資産を拡充すること(現預金400万円まで)(2011年3月31日各紙報道)、一部公的金融機関の被災企業への債務放棄(日本経済新聞4月5日)などが、決められるようだ。これには自民党も賛成するだろう。結局のところ、個々の被災者に対して援助をした方が効率的である。政治や行政も、すでにそれが分かっている。
3.復興資金はどのように調達するべきか
財政資金を調達する原則は、持続的に増大する経費であれば持続的に増大する税収でまかない、一時的な経費であれば国債で賄ってもかまわないということである。震災復興は一時的な経費であるから、国債で賄っても何の問題もない。しかも、その規模は、8.5兆円である。この規模の震災が仮に15年に一度来るとしても、年にすれば0.6兆円以下である。この程度の金額のために、わざわざ増税する必要はない。
さらに、復興投資は、まともに行われさえすれば、高い「乗数」を持っている。工場で部品が生産できるようになっても、道路が分断され、部品を運べないので、生産する意味がない。意味がなければ、生産されない。このような状況で、道路を復旧することの生産効果はきわめて大きい。例えば、道路を1億円かけて修復すれば、生産が、その数倍の規模で増加することになるだろう。ここで、道路にかけた1億円に対する生産の増加額の比を「乗数」と呼ぶと、乗数は5とか10とか、きわめて大きな値になるだろう(これは通常のマクロ経済学でいう乗数とはやや異なる概念であるが、どこが異なるかは後述する)。
ここで乗数を1としてみよう。復興投資として1兆円の財政支出を増加させると、GDPが1兆円増えると考える。2010年度末で公債残高は637兆円、10年度の名目GDPは474兆円である。ここで、10兆円の公債を発行して10兆円の景気刺激策を行うと、公債残高は10兆円増えて647兆円になるが、GDPは484兆円になる。景気対策を行う前の、公債残高対GDP比率は637÷474で134.4%だったが、景気対策を行った後は、647÷484で133.7%とわずか0.7%だが縮小する。乗数が1より大きければ、この比率は間違いなく低下する。
もちろん、多くの人は、私の計算を信じないだろう。乗数が1でも公債残高対GDP比率が低下するのなら、なぜこれほど公債残高対GDP比率が上昇してしまったのかと不思議に思うだろう。
考えられる答えは2つある。一つは、これまでの公共投資があまりにも非効率で、乗数が1以下であるという可能性である。この可能性も高い。復興投資で、シャッター通りを元のシャッター通りのままに復元すれば、乗数は1以下だろう。確かに、シャッター通りを復旧すれば、復旧工事代金は今年のGDPに計上される。しかし、翌年のGDPはまったく増えない。道路が復旧して生産が再開されるときには、復旧工事が計上されるだけでなく、工場の生産がGDPに計上される。これは永続的にGDPを引き上げることになる。この小論で「乗数」と言っているのは、このように永続的な効果である。非効率な公共投資には、永続的にGDPを引き上げる効果がない。
もう一つの答えは、マンデル=フレミング・モデルが教える結果が表れているというものだ。マンデル=フレミング・モデルの教えとは、変動為替制度の下で(現在がそうである)財政支出を拡大すると、金利が上昇し、為替レートが上って輸出が減少し、財政拡大の効果と輸出減少の効果が打ち消しあって、GDPは増えないという教えだ。あるいは、変動為替制度の下では、財政拡大と金融拡大の両方を行わないとGDPは増えないという教えでもある。
別に、どちらの効果がどれだけ効いているかが分からなくてもかまわない。賢い復興投資をして、復興投資をするときは金融も緩和すれば良いだけだ。税という恒久的な収入源があれば、むしろ無駄なインフラ投資をしてしまう可能性が高くなるのではないだろうか。
4.組織や機構を作るべきなのか
組織や機構を作れば良いという思考がある。関東大震災では、確かに、有能な政治家である後藤新平が帝都復興院を作り、東京を復興させた。しかし、東日本復興院を作れば東日本は復興するだろうか。それは違う。東京は発展することが確実とされており、インフラが不足していた。復興院はインフラを作り、復興を果たした。東京は首都であり、後藤新平を始めとする復興院の人々は東京に住んでいた。復興院のエリートは、大日本帝国の首都、帝都がどのようなものであるべきかについて、被災地の普通の人々より深い知見を持っていた。エリートが機能した例である。しかし、東日本の被災地は、高齢化し、人口が減少している。発展を見通せていながらインフラ不足に悩んでいる地域ではない。どのように復興させるのか。東京の人々は何も知らない。
組織を作るという発想は、その組織が、地域にとって何が必要かが分かっているという前提に立っている。だから、その系として、復興のためには集中的な投資が必要だと主張する。しかし、すでに述べたように、集中的な投資で人々の役に立つことが、より低いコストでできるとは思えない。
このような組織は、山を削り、低地を埋めて新たな丘を作り、そこに家を建て直し、新しい街をつくるというようなビジョンを語りたがる。しかし、三陸の急傾斜地を切り崩して宅地にする費用は、坪何十万円もかかるだろう。急峻な山を何百メートルも削って盛り土するのは大変な工事である。盛り土した部分は、高さはあっても地盤が弱い。仙台郊外の丘陵地の谷を、丘を削った土で埋めた住宅地でさえ、今回の地震で地滑りが発生して大きな被害が出ている。三陸の住宅地の地価は、坪5万程度のものである。とうてい見合わない投資である。
中央集権的組織は、地域の実情について何も知らない。地域が復興するとは、東北の所得の源を復活させることだ。それは個々の人々の個人財産の復活になる。組織の役割は、個人財産の復活が不公平にならない仕組みを作り、それがきちんと機能するように監督することではないだろうか。このような機能は、既存の組織でも果たせるのではないか。
5.原発の代替案は電力を使わないことなのか
今回大震災の復興が遅れている大きな要因は、原発の事故があるからだ。原発については、私は知識が乏しいが、原発の代替が電力供給の大規模な削減であるかのように議論されているのは前提が間違っているのではないか。原発の代替は、電力の節約や自然エネルギーの利用ではなくて、火力発電所の建設である。そもそも、日本のCO2排出量は世界の4%にすぎない。原発を火力に代えても、日本のCO2排出量が世界の5%に増え、世界全体の排出量と化石燃料使用量が1%増えるだけだ。日本に原発がなかったら、90年の排出量は今より大きく、それを基準としてやはり6%の削減目標を与えられただけではないだろうか。奇妙なことだが、既得権は認められてしまうので、出発時点で排出量が大きいほど得になる。世界全体の化石燃料使用量が1%増えれば、もちろん化石燃料価格が上昇するだろうが、通常は価格が1%上がるだけではないだろうか。
今から火力に代えればコスト高になるだろうが、事故前でも、原発が本当にコスト安だったかは分からない。『原子力発電四季報』(第26号、2004年3月)によると、1キロワット時のコストは原子力5.3円、LNG6.3円とそれほど大きな差ではない(もちろん、2010年のコスト差は、LNGの値上がりによって拡大しているだろう)。このコスト比較に対して、稼働率の前提がおかしい、廃炉や使用済み核燃料の処理コスト、原発立地促進のために地元自治体に支払う交付金、送電費用、出力を調整することができないために必要となる揚水発電のコスト、原子力安全・保安院など規制官庁のコストを考慮していないという批判がある。
本当のコストがなんであるか、私は知らないが、もし原発の発電コストが本当に安いのなら、安全コストをかなりかけても良かったのではないか。原子炉を今更20メートル高いところに動かすことなどはできない。しかし、発電機やポンプを高い所に置く。津波をかぶっても大丈夫なように防水する。真水の貯水槽を作るなどの対策なら、数10億円のコストでできたのではないだろうか。原発のコストが本当に安いのか、疑いたくなる。
まとめ
1.復興に必要とされている投資規模は大きすぎる
復興に必要な投資規模は8.5兆円以下である。復興投資の規模が大きくなるのは、非効率な投資をすることと、公共投資だけで復興を図ろうとするからだ。
2.復興は個人財産の復活を支援するのが効率的である
東日本の復興とは、東北の所得の源を復活させることだ。そうするためには、個人財産の復活を援助することが、もっとも効率的な方策である。公共事業で所得を維持しようとすればとてつもなく費用がかかる。
3.復興資金は公債で調達してもかまわない
震災復興は一時的な経費であるから、国債で賄ってもかまわない。しかも、その経費は大きなものではない。効率的な震災復興投資が行われれば、公債残高自体は増えるが、公債残高対GDP比率は低下する。
4.中央集権的な組織を作るべきではない
中央集権的な組織は、地域の実情について何も知らない。このような組織は、コスト高の復興策を採用したがる。組織の役割は、個人財産の復活が不公平にならない仕組みを作ることである。このような機能は、既存の組織でも果たせるのではないか。
5.原発の代替案は電力の節約ではなくて火力発電である
原発の代替案は、電力の節約や自然エネルギーの利用ではなくて、火力発電所の建設である。そもそも、日本のCO2排出量は世界の4%にすぎない。原発を火力に代えても、日本のCO2排出量が世界の5%に増え、世界全体の排出量が1%増えるだけだ。
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