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2012/04/23

住民は「お客さま」?・・・それでは永久に主権者にはなれない!

とても示唆的な文章だと思います。東京財団の研究員、亀井善太郎さんが『住民は「お客さま」ではない/主権者と行政の関係』と題して、ご自身のブログに書かれている文章です。
以下が、亀井さんの書かれたことです。

 

この土日、東京財団週末学校(市区町村人材育成プログラム)の面談審査を行いました。
面談審査というのもおこがましい話です。私たちの能力やキャパシティなどの問題もあって、希望されたすべての方に来ていただくことができないのは本当に申し訳ないことだと思っています。

自治体職員の皆さんとお話するのはとても勉強になります。
いろんなことをやってはいますが、やはり現場で毎日頑張っている人からは教えていただくことは目からウロコばかりです。
今日は、この両日で感じたことをちょっとだけ書いておきたいと思います。
(ちなみに、以下の話は面談審査の内容や結果とはまったく関係ありません。誤解なきよう。)

住民のことを「お客さま」と呼ぶかたが何人かいらっしゃいました。
なぜ「お客さま」と呼ぶのでしょうか?

「客」という言葉について、広辞苑で調べてみました。
①訪問してくる人。まろうど。「客人」「来客」
②主に相対する地位。主人の側でないもの。「客分」「客員」
③自己に相対するもの。「客体」「客観」
④旅中にある人。旅人。「旅客」「客死」
⑤一道に長じた人。「論客」「剣客」
⑥料金を払って物を買い、または見物し、或いは乗物に乗る人。「顧客」「観客」「乗客」
⑦すでに過ぎ去ったことを表す語。「客年」
⑧接待のための道具を数える語「吸物椀五客」

さて、ここで使われた「お客さま」はどの意味なのでしょう。
消去法で考えてみましょう。
人ではないので⑦や⑧でないのは明らかです。
また、人であっても④も⑤も違いますね。
①も違いそうです。窓口や役所に来た人だけを語っているようには思えません。
③は「お客さま」と呼ぶ時の意味ではありませんね。広くはありえますが、あまりに漠としています。

そうなると②と⑥が残ります。
②主に相対する地位。主人の側でないもの。
⑥料金を払って物を買い、または見物し、或いは乗物に乗る人。

②だと考えているのだとすれば問題です。
主権者である住民を、この意味で「客」としてしまってはいけません。
まさに主客逆転、大本のところがわかっていないということになってしまいます。

⑥も問題です。
住民に税金というコストを払ってもらい、役所はそのコストで住民にサービスをする。
サービスの担い手である役所とサービスの受け手である住民がいる。
そんな構造で「お客さま」と呼んでいるなら、とんでもない勘違いです。

どの意味で考えても「お客さま」はおかしな言葉です。
これは言葉だけの問題ではないと思うのです。

いつから市役所はサービス業になってしまったのでしょう。
いつから市民はサービスを受ける立場、行政はサービスを提供する組織になったのでしょう。

自治体職員が住民を「お客様」と呼ぶ意識の根底にどんなものがあるのでしょうか。
その言葉の根底には、自覚しているかどうかは定かではありませんが、あなたたちは「たんなる」お客様なんですよという気持ちがあるのではないでしょうか。

本来、「主権者」であるはずの住民が、いつのまにか「お客様」になってしまいました。
「お客様」は提供されたものに文句を言うことはできますが、提供されるものを決めることはできない、それは、もはや「主権者」ではありません。

選挙に行くよ、ちゃんと働いて税金も払っているし、憲法に書いてある教育を受けさせる義務も果たしているよ、それが主権者の義務じゃないのという人がいるかもしれませんが、それは一部を担っているだけです。

これは役所の問題だけでもなさそうです。
そもそも、憲法に書いてある「国民が主権者である」という意味をどれだけの人が真剣に考え、実践しているのでしょうか。
本来、主権者とは、よりよい社会や国をつくるために主体的に、自分自身のこととして、判断し、何かを担おうとする人です。

役所の職員がお客さま扱いするのも問題ですが、私たちの問題もあるのかもしれません。

主権者がお客さまになってしまったが故に深刻な問題として財政危機があります。
お客さまに、きちんと説明して納得して我慢してもらうよりは、大盤振る舞いをして喜んでもらうほうが楽だと行政は考えたのではないでしょうか。
当然、大盤振る舞いのツケはお客さまに回るのですが、将来に先送りすれば、いまのお客さまは何も文句は言わないので、行政は楽です。
そういえば、将来推計の問題も大盤振る舞いを行政が楽に進めるための装置だったのかもしれません。

当事者から外されてまつりあげられた住民とだまって仕事を拡大してきた行政・・・。
「お客さま」という一言から見えてくる深い深い問題です。

住民も、自治体職員も、何気なく使っている言葉も含めて、自治の本質をもう一度考えるべきです。
大切なのは、住民自身が地域をつくる担い手になることです。
そのためには、住民が自分のこととして考え、行動しなければなりません。
自治体職員はそのためにサポートできることを考え、具体的な動きにつなげていかねばなりません。

これを読んでいるあなた、「お客さま」と呼ばれて「ここの役所は丁寧だ」なんて喜んでいたら、それこそ主権者になることは永久にないでしょう。
その一言が命取りですよ。

 

追記です。

じつはこの話、「民」という漢字の語源に話がつながります。
民というのは目に針を刺し目を見えなくして支配しやすく​した様子を表しているというのです。
なんだか・・・。まあ、ある意味、中国というのは正直な国なのかもしれませんが​・・・。

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コメント

研究員らしい一つの切り口ですが、これが今受け入れられるのか、10年後なのか楽しみです。

難しい言葉遊びよりも、だからこうしたいと言う町長としての考え方を解りやすく表現してこそが神谷町長らしさと思うのですが・・・・・。

①~⑧や追記はちょっとおまけかもしれませんが、きわめてわかりやすい指摘と思います。

私もかつて「お客様」という言葉を使ったことがありますし、サービスの対象という意味では「お客様」です。
でも、よく考えてみると、そもそもみんな当事者なのです。誰かに何かしてもらう客体ではなくて、一人一人が社会を作る主役なのです。それは私の言うところの住民参加の考え方と通じています。

いわゆるクレーマーやモンスターペアレントは、「お客様」の発想の産物なのだと思います。逆にお仕着せのサービスを無批判で受け入れるのも同根です。ないよりあったほうが良いサービス、でもそれは(当事者の税で行われている以上)決してタダではありません。行政の質を上げていくのは主権者の責任でもあるのです。

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