932年ぶりの金環日食だったのに。
期待していた金環食は見ることができませんでした。雲が厚くて太陽がどの辺にあるかさえわかりませんでした。名古屋ではちゃんと見えたらしいのです。朝、テレビでやっていました。
悔しいことに、7時半過ぎになって急に空が晴れてきました。おかげで部分日食を見ることができました。これは、日食観測用のメガネを通して撮った画像です。
ところで、
木漏れ日が地面に丸く移っているのを見たことはないでしょうか。実は、それ、葉っぱの隙間の形ではありません。太陽の形なのです。
簡単にできる面白い実験があります。紙にボールペンの先などで直径1mmほどの丸い穴を開けます。その少しとなりに一辺1mmほどの三角形の穴を開けます。これを太陽にかざして、穴を通った光を黒い紙に写してみましょう。穴を通った光の形はどうなっているでしょうか?
そう、両方ともまん丸なのです。これは、「穴の形」を見ているのではなくて、「太陽」を見ているにほかなりません。紙に小さな穴を開けただけのピンホールレンズで太陽の投射像を見ることができるのです。とても不思議ですね。
こうして簡単に日食を見ることが可能です。ピンボケはしない(凹凸レンズで言うところの焦点距離は存在しない)ので、太陽の手前に電線などの障害物があればそれらもくっきり写ります。
今日はたくさんの人が、木漏れ日で地面に映った金環食や部分日食をネット上で紹介しています。
※ いまから932年前、源平の合戦(水島の合戦)の時、政権に近かった平氏は日食が来ることを知っていたといいます。当時どうやって日食を予測していたのでしょうか。
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コメント
初めて知りました。感謝です。
調べて見ました。
「水島の戦い(源義仲軍と平氏軍)」
「寿永2年閏10月1日」
「天文寮を擁する朝廷側の平家」
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「当時どうやって日食を予測」ですが、
「中国の天文か、日本の朝廷」が関心の点です。
「平家と中国」がNHK清盛に余り出ないのが残念です。
投稿: haruharu | 2012/05/22 08:50
マヤのように天体のこよみを持っていたのか? 日食が近づくと予報が出せるレベルだったのか?
この当時の天文学のレベルがどの程度であったのか、想像もつきません。
ここにちょっとしたヒントがあります。参考になるかもしれませんね。
http://okwave.jp/qa/q2868742.html
投稿: 神谷 | 2012/06/18 00:56