大船渡~松島を行く。
東日本大震災の津波被災地は、主に千葉県から茨城、福島、宮城、岩手、青森の関東から東北沿岸にかけてだが、これらの中で仙台付近についてはこれまで何回か訪れている。
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http://kamiya-a.cocolog-nifty.com/turezure/2012/02/post-6ad5.html
http://kamiya-a.cocolog-nifty.com/turezure/2011/12/post-da02.html
しかし、気仙沼・大船渡・陸前高田~釜石~宮古~八戸に至るいわゆる三陸海岸沿いを見ていないこと、加えて、現地に滞在してボランティアをするなどして何も役に立っていないことが、心に引っかかっている。それは依然として解消されてはいない。
今回、東北の地を踏んだのを機に、不遜かもしれないが、自分の息子、娘に現実の一部でも見せたいと思った。友人が東松島市の大高森(奥松島)の近くに民宿を予約してくれたので、気仙沼から南三陸そして松島にかけて海岸沿いを訪ねた。
気仙沼の駅の近くはタクシーが行き交い、津波が到達した様子は感じられなかったが、一歩港の方に近づくと、壊れた建物や地盤沈下して水がたまったところがそのままで、海の近くは腐臭が漂っていた。宮城県気仙沼合同庁舎は、2階までガラスが破壊され、放置されていた。
津波で破壊されたJR気仙沼線の橋。橋げたが丸ごと流されている。
3階建ての屋上に乗用車が乗ったままの南三陸の建物
南三陸町防災庁舎の前ではたくさんの人たちが祈りをささげていた。
志津川中学校から眺めた市街地。コンクリートの建物以外ほとんど残っていないことがよくわかる。
こちらは、仮設商店街の南三陸さんさん商店街。
夕方には、東松島市の月浜(奥松島)に着いた。ここは、浜辺の集落に民宿街のあったところだが、2~3軒を残してすべて津波に流されてしまった。
すぐ隣は仮設住宅になっている。たまたま少し高台にあっただけで、片やセーフ、片や仮設住宅、運命としか言いようがない。
集落があったところは更地になって、ところどころチューリップが植えてあったり、復興のメッセージが込めてあったりする。
奥松島縄文村歴史資料館に展示されている古い地層の写真。このあたりでは500年~1000年の周期で津波層が見つかっている。
資料館裏手にこんもり聳える大高森の105.2mの二等三角点。松島湾が眼下に広がる。天気が良ければ蔵王連峰も一望できるはずだ。
津波の直撃を受けた東松島市のJR仙石線野蒜(のびる)駅。電柱が倒れて架線が垂れ下がったままになっている。
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