行政を無謬性から解放してみたら
何期も続けてこられた首長は、事業仕分けをしづらいという。自分のやってきたことを否定することにつながりかねないから。新任の首長ならば、前任者のやってきたことを否定しても自分の責任にはされにくい。
だが、私はそんなつもりで事業仕分けをしようとしているわけではない。そもそも、行政は常に正しくなければならないという発想を捨てる。行政は常に誤りを犯しうる存在なんだ。世の中には絶対的正解なんてありえない。ましてや、着想は妥当でもそれが必ずしも計画通り実行されるものではない。そう考えれば、楽になるし、常に改善しようとする前向きな姿勢にもつながる。
間違えてはいけないことを言い訳にすると、物事の改善は進まなくなると思う。
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コメント
まったく同感。先日もあるテレビ番組で、躍進を続ける企業の経営者が、その秘密を「自己否定の連続」と言っていました。家電業界の巨額赤字は、それこそ事業仕分けを怠ったからではないでしょうか。半世紀前から当たり前だった「改善」が、行政の場でも大胆に取り入れられることを切望します。
投稿: 増田辰治 | 2012/08/01 16:52
増田様
朝令暮改という言葉がありますが、朝令朝改でもいい、気が付いたら改める姿勢、誤りを謙虚に認める柔軟性が欲しいと思います。一方で、(修正は常に必要としても)最初から間違わない周到さ、ブレない信念が要求されると思います。
ブレてはいけないから誤りを認めないというのは本末転倒です。
投稿: 神谷 | 2012/08/03 08:08