« あいち介護予防フォーラム ~高齢期をよりよく生きるヒント~ に出席しました。 | トップページ | 夜行バスで帰ってきて、さっそく行事が二つ »

2012/09/22

於大の方の菩提寺 小石川にある無量山傳通院に行ってきました。

水野家の居城のあった東浦で生まれた徳川家康の生母、於大の方の墓所のある徳川家ゆかりの名刹、小石川の傳通院(伝通院)を訪ねました。

於大の方は、1528(享禄元)年、尾張国知多郡の豪族 水野忠政とその妻於富の子として、忠政の居城緒川城で生まれました。
忠政は、於富の方を離縁して、当時三河で勢力を振るっていた松平清康に嫁がせましたが、松平氏とさらに友好関係を深め深めるため、1541(天文10)年に於大を清康の後継者である松平広忠に嫁がせました。翌年、於大は広忠の長男竹千代(後の家康)を出産しました。
しかし、忠政の死後、水野家を継いだ於大の兄信元が1544(天文14)年に松平家の服従する今川家と絶縁して織田家に従ったため、広忠は於大を離縁し実家の水野家に返しました。その後、於大は1547(天文17)年に信元の意向で(現・知多郡阿久比町の)阿古居城主 久松俊勝と再婚しました。俊勝との間には三男三女をもうけています。於大は俊勝の死後、仏門に入り伝通院(でんつういん)と号しました。

関ヶ原の戦いの後の1602(慶長7)年、家康の滞在する(現・京都市伏見区の)伏見城で死去。遺骨は江戸小石川の無量山寿経寺(現・傳通院)に埋葬さましれた。

於大の方(傳通院殿)の墓石のあるところの入り口には、東浦町の花である卯の花(うつぎ)が植えられています。

P1030364_640x479

P1030367_600x450

 

少し離れたところには、千姫の墓所もあります。第2代将軍徳川秀忠の長女、家康の孫娘です。千姫は、1603(慶長8)年に7歳で豊臣秀頼と結婚。1615(慶長20)年、大坂落城の際に救出され、翌年、伊勢国桑名城主本多忠政の子忠刻(ただとき)と再婚。1626(寛永3)年、忠刻の死後、出家して天樹院(てんじゅいん)と称し江戸竹橋に住んでいたそうです。墓石には「天樹院殿」と彫ってあります。

P1030370_640x480

P1030376_640x480

 

傳通院の麻生管主をはじめ傳通院の方々、地元の町内会や商店街の皆さんには、毎年欠かさず東浦町の於大まつりにお越しいただいています。今回、東浦の方からも年に一度くらいはお参りさせていただかねばと、お彼岸の法要に参加させていただきました。
当時は、尾張の織田氏と駿河・遠江の今川氏に挟まれて、尾張~三河国境の弱小の戦国領主は政略結婚・政略離婚を繰り返さねばならない世の中だったのでしょう。それから400年の時を経て、不思議なご縁でつながった傳通院そして地元小石川の地と、末永く着実に積み重ねていくお付き合いをしたいと願っています。
傳通院では歓待していただき、檀信徒の皆さんの前でご挨拶させていただきました。

P1030384_640x461

P1030388_640x480

山門までお見送りいただいた小澤執事長と地元商店会の方。
ありがたいことに、地元商店会(三盛会)の元役員さんのお店の前に於大まつりのポスターを貼ってくださっています。これも、東浦と小石川の有志の皆さんが長く親交を温めてくださったおかげです。
来年4月の於大まつりにも、またおいでくださるとのことで、楽しみにしています。

  P1030390_640x480 P1030394_640x481

|

« あいち介護予防フォーラム ~高齢期をよりよく生きるヒント~ に出席しました。 | トップページ | 夜行バスで帰ってきて、さっそく行事が二つ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/80448/55733610

この記事へのトラックバック一覧です: 於大の方の菩提寺 小石川にある無量山傳通院に行ってきました。:

« あいち介護予防フォーラム ~高齢期をよりよく生きるヒント~ に出席しました。 | トップページ | 夜行バスで帰ってきて、さっそく行事が二つ »