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2012/09/13

木曽川流域ひとり旅(水力発電所編)

8月初旬にひとりでふらっと木曽川沿いにドライブしてきました。
犬山から上流の木曽川は、日本ラインと呼ばれる水が岩肌を縫う急流となります。

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ライン下りの起点があるのが(可児市の)今渡。むかしは中山道の渡しがあったところ。右岸は(美濃加茂市の)太田宿です。
ここにある今渡ダムは、木曽川最下流の発電用ダム。川幅いっぱいに設置された19門のローラーゲートが圧巻です。対岸の可児市側に今渡発電所(昭和14年完成、最大出力20,000kW)と、手前の美濃加茂市側に増設された美濃川合発電所(平成7年完成、最大出力23,400kW)があり、合わせて最大43,400kWを発電します。
木曽川は、とにかく発電所の多い川です。電源開発の歴史抜きには語れません。

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今渡ダムのすぐ上流にはJR太多線の木曽川橋梁があって、その少し上流で木曽川(写真右側から)と支流の飛騨川(写真上方から)の合流点があります。

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さらに木曽川を上って今渡ダムの貯水池が終わるころに、昭和18年完成、最大出力3,9000kWの兼山ダムが現れます。

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兼山ダムは発電用のダムですが、貯水池には昭和36年に完成した愛知用水の取り入れ口があり、ここから知多半島の農業用水、工業用水、大府以北の飲料水が取水されています。

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兼山貯水池が終わるあたりにあるのが、木曽川の谷口集落の八百津です。八百津は今でも3軒の造り酒屋が残っているし、栗菓子などをつくる和菓子屋がたくさんあります。むかし、木曽の山奥で切り出された材木は川に流され急流を下り、急な谷から出て、川幅が広がり流れが緩やかになったここで筏に組まれたのだそうです。八百津は木材の集散地として栄えたのでしょう。

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八百津には木曽川水系初の本格的水力発電所として明治44年(1911年)に完成した八百津発電所がありましたが、昭和49年に廃止、現在は建物が資料館として保存されています。
八百津発電所のとなりには昭和29年に完成した木曽川本流最大の丸山発電所があります。

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この上流の丸山ダムから圧力トンネルで導水し、発電所背後の山の上に造られた調圧水槽から巨大な2本の水圧鉄管でタービンに導かれた水の力で最大125,000kWを発電します。丸山ダム直下には昭和46年に増設された新丸山発電所(最大出力63,000kW)を合わせると合計188,000kWの出力を誇ります。
丸山発電所から上流の木曽川は蘇水峡と呼ばれる峡谷に入ります。少し上ったところに戦後の大ダム建設の先駆けとなった丸山ダム(昭和30年完成、高さ98.2m)が木曽川のV字谷を堰き止めています。丸山ダムは、洪水調節機能と発電機能を持つ多目的ダムで、国土交通省と関西電力の共同で管理されています。

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丸山ダムには再開発計画があり、現在のダム本体を嵩上げする形で高さ122.5mの新丸山ダムを建設し、貯水量を倍増させる工事を進めようとしています。

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まだダムの本体工事は着工していませんが、道路の付け替え工事などが先行して行われています。丸山ダムの上流約15kmには笠置ダムがあります。この間の木曽川は深く狭い谷を形成していて、道は狭く現在通行止めになっています。この道路は国道418号に指定されており、新丸山ダムが完成すれば水没するため、木曽川沿いから少し離れた山間部に付け替え道路を整備中です。
ところが、この道路が超豪華。行く手を阻む谷や山をものともせず、超大橋やトンネルで一っ跳び。当然2車線歩道付き。

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なぜこんな山の中にこんな豪華な道が必要なのか首をかしげます。これは徳山ダムの時と全く同じです。まだ、付け替え道路は全線開通していませんが、途中にあるスゴイ橋をご紹介しましょう。新旅足(たびぞこ)橋です。

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たぶん日本で一番高い橋(河床から約200m)なのではと思います。橋の上に立つと、あまりの高さ(なんと下を流れる川の蛇行が手に取るように見えるのです。)と吹き付ける谷風に足がすくみます。当然、航空機の衝突防止のためのフラッシュライト付きです。
木曽川の丸山ダムあたりから恵那峡にかけては、準平原と呼ばれる隆起平原を長い時間をかけて木曽川の流れが浸食したミニグランドキャニオンのような地形で、起伏の少ない大地に深さ200~300mほどの深い谷がえぐられています。

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笠置ダム(昭和11年完成、最大出力41,700kW)を過ぎてしばらく川をさかのぼると、いよいよ、堂々たる大井ダムの堰堤と発電所が見えてきます。「男だてなら あの木曽川の 流れくる水 止めてみよ」と木曽節に歌われた大河の流れを、電力王 福沢桃助の率いる大同電力が、大正13年に21門のゲートを持つ高さ53.4mの本格的なコンクリートダムで堰き止めました。

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ダムの直下にある日本最初のダム貯水池式発電所の大井発電所で最大出力52,000kW、あとから(昭和58年に)増設した新大井発電所で最大出力32,000kWを発電します。ダム本体の赤茶けた部分は中の鉄筋の錆が染み出しているのでしょう。歴史を感じます。ゲート操作機器が並んでいる堤頂部には歩道が付いていて、一般の人でも対岸まで歩けるようになっています。

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ダムの上流側の貯水池になっているところは恵那峡と呼ばれる景勝地です。湖の縁にさまざまな形の切り立った花崗岩の岩壁が続いています。

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恵那峡沿いも、緩やかな丘陵地に木曽川が急な谷を刻んでいるので、両岸を結ぶ高い橋がたくさんかかっています。

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この貯水池が終わるところまで行くと落合ダムのある中津川市落合川に出ます。それより奥に入るとまもなく長野県。「木曽路はすべて山の中」と小説『夜明け前』の冒頭にある通り、渓谷沿いに旧中山道とほぼ同じルートの国道19号線、JR中央線が並行して走る木曽川上流部の地域です。
落合ダムにある落合発電所(大正15年完成、14,700kW)、新落合発電所(昭和55年完成、18,900kW)の上流にも、木曽川本流にある発電所だけで、下流から順に、山口(昭和32年完成、42,000kW)、賤母(大正8年完成、16,300kW)、読書(大正12年完成、40,700kW)、読書第二(昭和35年完成、76,400kW)、大桑(大正10年完成、12,600kW)、木曽(昭和43年完成、116,000kW)、須原(大正11年完成、10,800kW)、桃山(大正12年完成、25,600kW)、上松(昭和22年完成、8,000kW)、寝覚(昭和13年完成、35,000kW)と、発電所のオンパレードです。
王滝川との合流点を過ぎてからも、王滝川に沿って、常盤(昭和16年完成、15,000kW)、三尾(昭和38年完成、35,500kW)、御岳(昭和20年完成、68,600kW)、滝越(昭和26年完成、28,900kW)、三浦(昭和20年完成、7,700kW)と、最上流の三浦ダムまで5つの発電所が連続しています。
上記のように満水位標高1304mの三浦ダムから今渡ダム直下の標高約60mまで、切れ目なく連続する20箇所以上の発電所群を築き上げ、この間の落差約1250mは余すことなく水力発電に利用されています。これら木曽川流域の発電所は大支流である飛騨川を除き、基本的には関西電力の所有になっています。濃尾平野(名古屋)を潤す川なのになぜ関西電力か?というのには訳があります。

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日本の川はどこも大正期~戦後の高度成長期までに開発し尽くされた感があります。特に木曽川は、包蔵水力が豊富な故に、また大消費地に近いが故に、早い段階から注目されました。
ここで必ず登場するのは福沢桃介の名です。彼は、名古屋電灯、そして大同電力の経営者として、精力的に木曽川の電源開発を進めました。彼が最初に手掛けた本格的な水力発電所は、先に触れた岐阜県の八百津発電所(明治44年(1911年)竣工~昭和49年(1974年)廃止、現在は資料館)です。
開発はさらに上流の長野県にもおよび、大正8年に賤母発電所、大正10年に大桑発電所、大正11年に須原発電所、大正12年に桃山発電所と読書発電所が運転を開始しました。

P1010820_640x482              賤母発電所

P1010878_700x525              大桑発電所

P1010888_640x480              須原発電所

P1010898_700x525              桃山発電所

そして、大正13年(1924年)には現在の岐阜県恵那市に日本最初の本格的なダム式発電所である大井発電所を完成させました。
これらの発電所群のうち、読書発電所施設(読書発電所本館、読書発電所への導水路である柿其水路橋、読書発電所建設の資材運搬に使われた桃介橋)が、現役の近代化遺産として国の重要文化財に指定されています。

P1010832_700x526              読書発電所本館

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              柿其水路橋

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              桃介橋

ここで、水力発電のしくみを簡単に示します。
下の図は水路式発電所のしくみです。発電所の上流に取水堰をつくり、取水した水を勾配の緩やかな導水路で下流に導きます。川の勾配は導水路よりも急なので、下流に行くと導水路との間に落差を生じます。この位置エネルギーを持った水を水槽から水圧鉄管で発電所に導いてタービンを回します。
長い水路で水を導く代わりに、発電所のすぐ上流に背の高いダムを造って水を貯め、ダムによって落差を稼ぐのがダム式発電所です。ダム式発電所ではダムの貯水池に水を貯めることができるので、川の自然流に変動があっても貯めた水を使うことができる(調整能力を持つ)ため、一般に水路式発電所より高出力を得ることができます。高いダムと長い導水路を両方持つものはダム水路式発電所と呼ばれます。

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水路式発電所である大桑発電所の施設を例にとって実際のしくみを見てみましょう。

<大桑発電所の取り入れ口>
川に堰を設けて、溜まった水を取水する施設です。右(上流)側にあるのは須原発電所。

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<大桑発電所の沈砂池>
川の水に砂が混じるとタービンを痛めるので、水路の途中で流速を弱めて砂を沈殿させる施設です。

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<大桑発電所の水槽>
水は、川よりも緩やかな勾配で造られた導水路によって、発電所の上部に設けられた水槽に導かれます。

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<大桑発電所の建屋と水圧鉄管>
発電所背後の水槽から水はゲートをくぐり、水圧鉄管の中を水車に向かって一気に駆け降りて、タービンを回します。

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木曽川の水流は元来、奥地からの木材の切り出しなど水運に使われてきた経緯があります。木曽川が濃尾平野に出る谷口に、八百津というまちがありますが、「津」の名の通り、古くから木材の集散地でした。険しい山峡を通り抜けて流れが緩やかになった八百津で木材を筏に組み直していました。いまでも八百津には立派な造り酒屋や和菓子屋が残っていて当時の繁栄を偲ぶことができます。
ダムを造れば川は分断される。桃介の電源開発は、この林業関係の既得権との争いでした。明治44年(1911年)には木曽川に沿って走る中央本線が全線開通しています。中央線や森林鉄道など木曽川上流部への鉄道敷設は、発電所の建設資材を運ぶだけでなく、木材運搬の代替手段としても必要不可欠なものでした。
こうして木曽川流域に次々と大型発電所が建設されていくわけですが、それに伴い、桃介は電力の需要開拓にも乗り出します。そのひとつが、大同製鋼の設立であり、また、関西圏への高圧送電でした。大正8年(1919年)には、大阪送電が設立され、やがて木曽川でつくられた電力はもっぱら大消費地である大阪に送られるようになりました。この名残で、戦後の電力再編を経て、木曽川水系の中で木曽川本流の発電所は関西電力の管轄(飛騨川、揖斐川、長良川は中部電力)となっています。

ただし、若干の例外があって、王滝川合流点よりも上流の木曽川本流には、中部電力の城山発電所(昭和13年完成、1,300kW)、新開発電所(大正8年完成、1,300kW)、日義発電所(昭和12年完成、1,300kW)と、水資源機構の味噌川ダムに併設された長野県企業局の奥木曽発電所(平成6年完成、4,800kW)があります。木曽福島よりも上流の木曽川本流源流部は、王滝川よりも水量、落差ともに小さく、大規模な水力発電には適していません。

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ほかにも、支流の中津川に王子製紙の発電所が、支流の阿木川に中部電力の奥戸発電所(大正9年完成、500kW)と水資源機構の阿木川ダムに併設された阿木川発電所(平成6年完成、2,600kW)があります。
奥戸発電所は、大井ダム直下の木曽川と阿木川との合流点にある小さな発電所です。まさに今話題の小水力というのにピッタリの発電所で、阿木川を少しさかのぼった所にあるかわいい堰から取水して開渠の水路で下流にある発電所まで水を送っています。

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   大井ダム脇、写真中央の奥戸発電所      奥戸発電所の取水堰

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以上、木曽川本流および王滝川にある水力発電所のリストです。日本有数の大河川をほぼ開発し尽した、木曽川にある関西電力の発電所群の最大出力を合計すると約100万キロワット。およそ原子力発電所1基分に相当します。これだけ合わせても原発1基分にしかならないのです。
電力が不足すれば自然エネルギーで代替すればよいという話をよく耳にしますが、電気をつくることがいかに大変なことかがわかると思います。
だから、原発は止められないと言うのではなく、原発にしても、水力、風力などの自然エネルギーにしても、大幅な自然改変をせずに我々がエネルギーを手に入れることは不可能だということです。たとえ原発をやめても、我々が今必要とするような莫大なエネルギーを生み出すためには、我々が足るを知り、資源やエネルギーの消費スタイルを変えない限り、自然破壊や公害がさらに深刻化するということです。そのくらい人類の経済活動が地球に比べて巨大なものになってしまったのです。電気をつくっても名古屋だけでは使いきれなかった昔が懐かしいですね。

私は子どもの頃、ダム・発電所マニアでした。当時は高度成長期で、あちこちで巨大ダムが建設されていた時期でもありました。ダムを造る適地はないかと地図で探したりもしました。

しかし、今となっては、ほとんどの川、ほとんどの渓谷にダムが建設され、日本にはもうダムの適地が残されていないのが現状です。元ダムマニアの私でも、ダムはもういらないと思います。
数少ないダムのない川として、四国の四万十川が引き合いに出されることがありますが、四万十川本流源流部の水はほとんど四万十川には流れていません。四万十川本流の上流部には発電所の堰があって、水はトンネルで太平洋に流れ落ちているからです。一番大きな支流である梼原川にはたくさんのダムがあります。
そういう意味では、長良川は、ほとんど唯一と言ってよいくらいのダムのない川だったのですが、平成6年に河口堰ができて、その環境は大きく変わってしまいました。

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コメント

 初めまして。ホームページの写真に惹かれ,閲覧させていただきました。私は,愛知県犬山市の小学校で社会科の副教本の編集をしています。「くらしをささえる電力」の記述をしています。水力発電所の写真を探していたところ,たいへん分かりやすい写真にめぐり合いました。副教本に載せたいと考えています。許可を頂けますでしょうか。もし,お許しをいただけましたら,厚かましいお願いで恐縮ですが,より鮮明な画像を載せるために写真のデータを送っていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
犬山市立楽田小学校 瀬上 幸恵 gakuden.s@inuyama-aic.ed.jp

投稿: 瀬上 幸恵 | 2012/10/09 11:01

コメントありがとうございました。小学校の副教本に使っていただけるとは光栄です。ぜひ、子どもたちに水力発電の歴史としくみを知り、これからの資源やエネルギーの使い方を考える一助にしていただけたら幸いです。
図表と写真がありますが、写真だけでよろしいでしょうか? また、特に注目している場所があれば、教えてください。ブログに掲載した以外の写真もたくさんあります。
詳細はメールにて。

投稿: 神谷明彦 | 2012/10/11 07:54

山登りや渓流釣りは時々行くのですが、いつも中央道か19号線を走っているので、こんなに見どころ満載のドライブコースがあるとは知りませんでした。すばらしいレポートなので感心しながら読み進んだら、子供の頃からダムや発電所に興味があったんですね。大変勉強になりました。私も女房を連れて、同じコースをたどってみようと思います。

投稿: 近藤知樹 | 2012/10/31 17:29

近藤さまへ
コメント、ありがとうございます。
過分な評価をいただき光栄です。そう言っていただくとアップし甲斐もありますし、お役に立った感があります。
このコース、落合から鳥居峠までの19号線沿いは、ほぼぴったり川に沿っているので、とても辿りやすいのですが、中津川よりも下流は川にぴったり沿った道がないのでちょっと苦労します。ご自分の感覚で見どころを探してみてください。
おなじ景色や構造物でも、背景にある地理的・歴史的なストーリーが加わると見え方が変わってくるのは楽しいですね。

投稿: 神谷明彦 | 2012/11/02 07:37

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