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2012/10/16

自治体トップマネジメントセミナー「地方自治体における今後の総合計画のあり方 ~策定義務付け撤廃後の姿を考える~」に参加して

8月の初めに、全国町村会館で開催された日本生産性本部 自治体マネジメントセンター主催のセミナーに参加しました。

裏金問題や芦浜原発問題に決着をつけた元三重県知事北川さん、公共事業見直しや情報公開の断行で知られる前鳥取県知事で、総務大臣を務めた片山さん、総合計画とマニフェストや予算との連動に取り組んだ前多治見市長西寺さんの講演とパネルディスカッションを聴く機会を得ました。以前にもお話しを伺ったことはありますが、お三方が揃うのは初めてです。物をはっきりおっしゃる方々だと思います。

以下、講演のメモからです。

 
 

●「地域分権時代における地方自治体のあり方」
  北川正恭(早稲田大学大学院教授、元三重県知事)

片山知事は、総合計画を止めにした。西寺市長は、総合計画に基づくまちづくりを進めた。一見正反対のことをしたようで、この二人には共通点がある。地方自治は、部分最適(個別要望の満足)から全体最適(全体システムの確立)へと向かっている。

日本は戦争で140都市が爆撃を受け、300万人が死んだ。戦後、米ソどちらを取るかの選択があった。1960年、池田内閣が高度経済成長、所得倍増を成し遂げるにあたって、国が4大工業地帯の立地を決めた。世界一の皆保険(健康保険と年金)制度は、田舎から労働者を供給するための制度補完だった。54年間の自民党政権は、方向としては国民の期待以上の成果を上げた。

日本は、経済大国、長寿大国を実現し、いま人口減少社会に入った。1ドル360円が前提で、日本の工業社会が成り立っていた。前提は変わった。
制度補完体制を強化することを(体制の中での)改革という。発想・制度を変えることを革命という。変えられない政党はもういらなくなるのが必然だ。

実は、2001年、地方分権一括法がこの国のガバナンスをもう変えている。裏金、官官接待、賄賂・・・ウラの制度で金を引き出しても、情報革命でバレるようになってしまった。
国と地方政府は対等、自治立法権を拡充して自治体の自由度を高める、国から地方自治体への義務付け、枠づけの撤廃というが、みんながグルグル責任逃れをするのが中央集権だから、国からは変わろうとしない。
教育委員会は機能していない。予算も握っていないし、仲間内でやっているだけだ。
監査委員は、議会事務局は、機能しているだろうか。予定調和を求めて、執行部のスパイになっているだけではないか。

右肩上がりの時代は、富の配分が重要になるので、供給する側が強い。住民が陳情して役人が査定することになる。
税収が減るようになると、負担の配分をせざるを得なくなり、納税者・主権者が強くなる。どんなに良い政策でも説明責任が不可欠だ。
県は法律上、総合計画をつくらなくてもよかったが、みんな作っていたのを、片山知事が止めた。市町村の総合計画には国の許可が要った。市町村をバカにしているが、これが自由化された。
考えないのが習慣だったが、考える習慣を身につけねばならない。主権者の声をいっぱい吸い上げて、取捨選択して総合計画をつくる。内発的に気が付けば、国は地方から変わる。

 

●「総合計画のミッションを考える」
  片山善博(慶應義塾大学教授、前鳥取県知事)

1999年に鳥取県知事に就任、前知事の総合計画で苦労した。当時は間違った総合計画をつくっていた。つくるとすれば間違ったものをつくるムードだったので、自分は、つくるのをやめにした。
市町村については、平成23年から総合計画の基本構想の策定義務はなくなった。民主党の地域主権改革は、地域のことは地域の皆さんが責任を持って決める。自治体の中で住民の意見を強くするものだ。
自民党の地方分権改革は、機関委任事務(ある事務のもとでは知事・市町村長は所管大臣の部下だった)を廃止して地方自治体の自由度が高くなった。自治体を強くするものだった。

平成23年5月に総合計画の義務付けを撤廃。自分で決めてくださいに変わった。第1次地方分権一括法で、いっぱい見直したけど、目玉がない。何が変わるのかよくわからなかった。第二次で、起債の制限など、総務省の関与を減らした。金を貸してもくれないところへ行って許しを待たないといけないのは、未成年者か成年被後見人か地方自治体くらいだ。
総合計画の存在意義も自分価値で考えればよい。Concept Makingをすることが大事だ。「しあわせ・住みやすい」は当たり前で、書く意味がない。

1999年当時、鳥取県の総合計画は大規模事業のオンパレードだった。自治体財政はバブル。総合計画に書いてあることをやめるのは難儀だった。
総合計画では、どういうまちにしたいか、何に重点を置くか、みんなのコンセンサスを得ることが大事。例えば5年後、10年後の教育環境をどうするか。
日本の国是は、明治時代は富国強兵だった。戦後は平和で民主的、そして金満国家、土建国家ときたのか? 今こそ国是が必要だ。例えば「知的立国」か。「強靭化公共事業立国」もあっていいけど嫌いだ。

自治体の総合計画は誰のためにつくるのか? 今のそして将来の住民のためではないか。
当時は、首長のためと思っている職員もいた。それとも、県会議員のため? 総合計画を作らないと受注調整できないので、土木業者が戸惑うという話もあった。
当時の鳥取県の総合計画は、箱モノのオンパレードだった。正当性のあるものなのか。
議会はタッチしていない。行政の都合の良い人を集めて作った。将来のイメージを規定するものであればデモクラティックコントロールが必要。議員は案を吟味する側だから、つくる一味であってはならない。
その代り議会の議決に付す。正当性、継続性、拘束性、財政との整合性を得るためにも議会のチェックは必要だ。

これから、税収増える、地方交付税増える、人口も伸びるは、おかしいだろう。本当にこの事業をやりたい、だけど、お金が足りないのなら、住民税を上げる、固定資産税を上げるなどの算段を盛り込むべきだ。そして、住民との接点、説明を持ち、議決に付す。変更可能なプロセスも必要だろう。

 

●「全体最適化のための基礎的自治体の役割と総合計画のあり方」
  西寺雅也(名古屋学院大学教授、前多治見市長)

地方分権一括法に関する一連の条例改正を、市町村は法務担当だけで済ませてしまった。現場職員が自分の仕事と結び付けて理解していない。指示待ち状態。職員は市民や首長ではなくて、国の省庁や利害関係者を見ている。

管理部門が事業課に指示するのではダメ。現場の分権改革が必要だ。保育所の規制撤廃にしても、現場職員が自分で考え、市民と議論して、何がよいかを決めねばならない。
規則のままのものは、条例化の点検が必要だ。

2012年に1億2千8百万人が、2060年には8千6百万人に。60年かけて増えた人口が50年で元に戻る。50年前当時は、ほとんどが農地だった。人口が減るのに市街地は増やせない。縮小型の政策への転換が必要だ。

総合計画は、最上位の計画(マネジメントの核)であり、部署横断的である。総合計画が必要と判断すれば、根拠条例をつくり、基本計画も議決する。つくらないと首長(マニフェスト)の暴走を許すことになる。サービスが増えるのであれば合意形成の必要性は薄いが、負担を分け合うには市民(利害関係者)の納得が必要。実施計画と基本計画の関連性がなければいけないし、財政と一体性を持たせる必要がある。

 

■3者によるパネルディスカッション
 「地方自治体における今後の総合計画のあり方 ~策定義務付け撤廃後の姿を考える」

北川:総合計画は、分権時代にわが町はどうするかの「決意」だ。企画課のみの仕事ではない。

片山:議会が変わらねば。与党と野党があって、与党に根回しして、それでおしまいではダメ。与党も反対ありきでは議論にならない。
議院内閣制には党派拘束はつきものだ。しかし、二元代表制で「与党・野党」は変だ。
首長は1人を選ぶのでハズレもある。配偶者だってハズレる。議会は大勢でバランスが取れるので、まだマシと思っている。
傍聴という言葉があるが主権者が「傍(かたわら)」で聴くのはおかしい。「市民席」とかなんとかいうべきだ。アメリカの議会では、大聖堂で拝観するようなことはしない。議員は平場のテーブルでやっている。市民意見も聞くし市民は拘束されない。
日本の議会は病んでいる。八百長だと言ったら、議員が怒った。「真実は人を傷つける」とはよく言ったものだ。議論して、どちらなのかハラハラするのは当たり前。結論が決まっているのは八百長だ。

北川:議会だけではなく、執行部も出来が悪い。執行部にも八百長の責任がある。

西寺:12年の間に議会との関係が日増しに悪くなった。自治基本条例には誰も賛成しなかった。5本出しなおして、自治基本条例だけは通してもらった。与党・野党はないので、職員は喜々としていた。議会と良い緊張関係になれば、本質的な議論ができるし、職員にとっても刺激になる。
総合計画では地域課題を出した70年代の武蔵野市のようなものを目指した。総合計画で予算を管理することが基本。その場合、首長の任期を意識する必要がある。マニフェスト選挙の後で総合計画を見直す。時間がかかってもその都度市民に説明する。
総合計画の策定委員会には議員を入れてはいけない。ボスを入れれば懐柔になる。最近、議会も特別委員会をつくって、議会で議論するようになった。
一つ一つの事業を財政的にもチェックする必要がある。

北川:国の財政計画に基づいて総花的に総合計画をつくっていたのみだったので、「生活者起点」をコンセプトに首長と職員も住民も徹底的に議論した。

片山:5年間の財政計画などを議決する手もある。議決すれば議会も拘束される。
総合計画を住民投票にかけるのは、選択の問題だ。住民が参加すれば住民も拘束される。変更にも住民投票が必要になる。だったら葉書による投票でどうか。
総務大臣の時に、団体自治の強化のために議会の強化と住民投票による補完を考えた。住民投票を選択でき、その結果に拘束されるよう自治法改正をしようとしたが、内閣が変わって無くなった。地方6団体が反対したからだ。
地方は住民に近いんだから権限をよこせと言っておきながら、住民は信用できないというのは御都合主義だ。議員の権限は住民の権限を代表してもらっているので大政奉還を少しするだけだ。住民が信用できないなどということは住民の代表が言うことではない。
鳥取県知事の時には、情報公開を徹底してダムなど納得のいかないものは予算化しなかった。
臨時財政特例債は合併特例債のようなもの。一度だまされる人は二度だまされる。国はこのままいけば破綻する。
それでも、国の役人のミッションは変わっていない。相変わらず自分のために働いている。天下り予算の方が優先。県知事の時にミッション改革をやったら300億円浮いてきた。
財務省はソブリンリスクと言いながら、200兆円の国土強靭化計画を認めてしまう。議員も定数を減らせない。海外視察をなくせない。民主党ではミッションを変えられない。

西寺:自ら政策形成しないと形成能力は身につかない。満場一致の必要はない。首長が、政治的リーダーかつ経営管理者として、どれだけ職員のやる気を起こせるかが大事。
オーケストラに指揮者がいなくても演奏は可能だ。しかし、音楽には、スコア通りではなくてコンダクターの意思が必要だ。2:6:2どころか、優秀な職員は1%だ。新しい政策をつくると視察がいっぱい来て有名になる。職員はガラッと変わる。

北川:マニフェストは必要か?
これまでは、富の分配が関心事だった。選挙公約はデタラメで、民主主義の機能しない幸せな時代だった。
これからの選挙は、「利益誘導・お願い」から「約束」へ。自民党は民主党よりもっと頼りなかった。高度成長に乗っかっていただけ。マニフェストで当選すれば行政職員は頭を切り替える。

片山:選挙をどうするか。少しでもマシなところを選ぶ。しかし、日本には、党員の考えで政策を実現するマトモな政党がない。自民も民主も個人の党員がいなくて、企業・団体が支持者。単なる現職議員と落選議員のクラブで、当選が目的になっている。共産党のみ党員がいるが、日本の政党は基本的には、「党員いない、リーダーいない、政策ない」の3無いだ。大阪はリーダーいそうだが、この指とまれで、やはり党員がいない。

西寺:どの政党からも地域の政策を提案されたことがない。地域で政策づくりしない。活動は個別訪問、あいさつのみ。国政にも地域の政策は反映されない。

北川:地域政党(ベンチャー)が伸びてきた。ヨコハマはがん撲滅など8つの政策を掲げている。地方議員が国政の集票マシーンに堕落するのみでなく地域政策をつくれ。

片山:東京でも大阪でも静岡でも原発投票条例が否決された。今だと、原発をやめるべきと考える人が多いだろう。代替エネルギーを考えると、話が変わる可能性がある。聞き方次第で変わる可能性がある。
スイスではまず議会で熟議する。その結果を丁寧に資料提示して、議会の意見をつけて、住民投票に付す。そのくらい丁寧にすべきだ。
討論型民主主義、討論型住民投票ともいうべきもので、地方なら議論と投票を何度も繰り返して結果を収斂することは可能かもしれない。

西寺:多治見は有権者の1/4で投票できるが、尊重規定だ。直感的に賛成・反対の危険はある。事前討論のステップを繰り返すことが必要だ。

北川:Facebookの影響で、カダフィー政権も1か月で倒れてしまう時代だ。固定電話アンケートは高齢者しか出ない。Webなら17~18問どころか200問くらいまで聞ける。ポピュリズムを避ける方法を模索しなければならない。

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