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2012/11/09

塩の道千国街道旅行記

ふらっと東海道」を寄稿してくださっていた方が、千国街道の紀行文を寄せてくださいました。

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信州小谷村                  2012.9.5

千国街道 塩の道 を歩く 

 

Chikunikaidou2012a 白馬八方温泉3泊4日のツアーに9月3日友人と参加しました。魅力は値段で19.800円、宿をランクアップしても23.800円。バス代と宿賃のみ。もちろんオプショナルツアーが用意されていますが、ゆっくり温泉につかり、且つここを拠点にして千国街道を歩くことにしました。

 
 親坂の弘法清水

 

白馬は「ハクバ」それとも「シロウマ」

 町の名前は白馬村、山の名前は白馬岳で同じ文字ですが読み方は違います。確かに迷ってしまいます。でも読み方にはちゃんとした理由があります。ややこしくなった理由は、山の名前に「白馬」の文字を使ったことが原因でした。
 春から夏にかけて雪解けの時期に、山の斜面に現れる様々な残雪模様を「雪形」と言います。栂池自然園のすぐ後ろにそびえる白馬三山の一つ白馬岳と小蓮崋山の鞍部には、黒い山の地肌である「代掻き馬」が現れます。この代掻き馬は昔、農作業に使った馬のこと。この地方では、代掻き馬の雪形が現れる頃、田んぼの代掻きを行ったといいます。また、シロカキ馬が現れる山として「シロウマダケ」と呼ばれていた山に、「白馬」の文字をあててしまったことから、山の名前は白馬岳になりました。そんなことから山の名前は「シロウマダケ」、村や駅の名前は「ハクバ」となり、ややこしい混同が始まりました。ややこしいのはこれだけではありませんでした、4日目に村を散策したところ道路沿いの標識は上下二段に「白馬村 白馬町」とありました。休憩したお店の方に聞くと、白馬村の中に白馬町が昔からあるというのです。村の中に町があると言われてもピンときません、ここ白馬の人たちは文字についてのこだわりがないようです。

 

千国街道 塩の道とは

 日本海側の糸魚川~松本城下まで約30里(120km)を結び、信州側で「糸魚川街道」、越後側で「松本街道」と呼ばれた千国街道は、またの名を「塩の道」といわれています。
 戦国時代、上杉謙信がこの道を経て、仇敵武田信玄に塩を送ったと言う「義塩」の有名な故事によるものです。また、松本藩では他からの塩の移入を禁止し、北塩と言って糸魚川~千国街道経由のみ許可したため、日本海側からは塩をはじめ海産物、信州からは麻やタバコを積んだ牛馬や歩荷(ボッカ)と呼ばれる人たちが盛んに行き来しました。雪が降り始めて6カ月はボッカの出番で、通常一人塩一俵背負い、数人で雪の山越えをしました。雪のない季節、牛方は一頭の背に二俵ずつ積み、一人前になると6頭の牛を追って峠を越えました。それは、華やかな大名行列などの往来もない、生活物資運搬のための経済路線で、庶民の道として明治の時代まで続きました。

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 今回歩いた千国越えコース

 現在、小谷にはかって5mの豪雪や急坂の地蔵峠・大網峠、昔の街道の面影が色濃く漂う千国番所跡コースなど姫川沿いの4コースと、姫川を避けて山腹を細々と続く天神道・大峰峠など4つの散策コースがあります。前者を千国街道、後者を千国古道と呼んでいます。

 

千国越えコースは標高800m~500m

 9:00にホテルを出て白馬駅まで歩き、9:25の栂池高原行きの特急バスに乗ります。事前の調べではバスが走るのは夏休みの7月と8月。バスはないと思っていましたがホテルで聞くと丁度良い時間のバスがあり助かりました。このバスは松本~栂池高原を結んで走る特急バスで、運賃・切符は運転手さんに渡してから乗り込みます。私たちの他にも登山スタイルのお客さんが数名乗り込みました。
 10:00に栂池高原に到着。ここから5分ほど下り松沢口からいよいよ千国街道に入ります。当初は南小谷駅からスタートして栂池高原へ向かうつもりでしたが、コース案内を調べると、これだと上り坂ばかりとなることが分かったので、ほとんど下りとなる南小谷駅へ向かうことにしました。松沢口は標高800mで、ここから徐々に標高を下げて南小谷は500mほどになります。そのコースは7.1km、約3時間10分のコース。この標高なら気温は名古屋と違いかなり低く、わりと歩きやすいでしょう。

 

前山百体観音

 畑の中の道を歩き出して5分ほどすると雑木林となります。そこに百体観音があります。この観音は西国33番、秩父34番、坂東33番の百体でしたが、今は80余体になってしまいました。この観音は百番霊場・札所になぞらえて造立供養したものであり、30余の集落名と140人程の願主の名前が見られ、近くの人ばかりか遠くは大町の人まで加わっていると言います。作られた時期は不明ですが、伊奈高遠から招かれた石工の手によるもので、その作風も優れているとあります。当時の人々の信仰心の深さがうかがえます。
 そこから続く街道は草が刈られ、手入れされているのがよく分かります。塩の道は背中に二俵の荷をつけた牛が安全にすれ違える道幅が基準で、9尺(2.7m)だったという。馬より牛が活躍したのは、険しい山坂の道では爪が二つに割れていて踏ん張り強い牛の方が適していました。それに、山中で狼に襲われても牛は闘争本能が強く、6・7頭の牛を周りにおけば狼も近付けなかったといいます。

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                           前山百体観音

 草がきれいに刈り取られた雑木林の道では二組のおばちゃんグループと会いました。そんな道を15分程も歩くと道祖心があり、舗装した道に出ました。

 

牛方宿と塩蔵

 時間は10:30で、その先に草屋根の大きな家と小さな小屋が緑の草原に建っています。小屋の近くまで行くと「塩蔵」という看板がついています。石を積み上げた基礎に建つこの建物は牛方宿とともに、旧街道に現存する唯一の建物です。建築年代は不明ですが幕末に建てられたものらしく、階上には塩を保管、階下には牛をつないだらしいです。特徴は塩によるクギなど金属の腐食を防ぐため、板壁を使い、小さな鼻栓で板を固定しています。梅雨時になると今でも階下の天井には塩気がふきだすといいます。ただこの塩蔵、もともとは千国街道信州側の入口に位置する、大網にあったものを平成19年に移築したのだそうです。
 隣の大きな家には牛方宿の看板がありました。ここ沓掛の牛方宿は、千国街道沿いの輸送に携わった牛方やボッカが寝泊まりした建物です。この家は千国正行家の旧宅であり、間口6間奥行き10間の茅葺の寄棟造りで、建築は1700年から1800年代初頭と考えられています。土間がかなり広いことが特徴で、牛方は中二階に泊り階下の牛や馬を見ながら寝たと言います。牛方宿としては旧街道沿いに現存する唯一の建物です。

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 塩蔵                             牛方宿

 中の見学はしませんでしたが、その大きさにはどっしりとした存在感があり、今見ても立派な建物です。家の前には千国街道の標柱が立ち、隣にはバス停の看板も立っていました。家の前の道は舗装されていて、これでは塩の道というイメージがだいなしです。

 

親坂の「弘法清水」と石仏群

 街道は牛方宿前の舗装された道からすぐに離れて、雑木林の中の親坂を下っていきます。3~4分も行くと説明板と石碑が立っています。「千国街道 弘法清水」とあります。この辺りは親坂と称し、ごつごつした石畳と牛を休ませる牛つなぎ石、冷たい湧水の水飲み場があります。水飲み場には二つの石舟があり、一つは高く、一つは低い所に置かれています。高い方は人用のもので、低い方は牛馬用だといいます。石舟の上の方には弘法大使像が安置されて、安永3年5月吉日の銘文がきざまれています。ボッカや多くの旅人たちがこの水飲み場で疲れを癒し、旅の安全を祈ったのでしょう。
 水飲み場から3~4分下ると大きな岩があり、錦岩と名付けられています。この石は雨に濡れると、ことさら石の色が赤く変わるといいます。さらに5分程行くと「牛つなぎ石」の案内がありますが、どの石なのかよく分かりませんでした。最後に小谷村郷土館を見学して分かりましたが、穴をあけてツルなどを通して輪が作ってありました。この輪に牛の手綱を通すものだったのでした。ここから8分ほど下っていくと小川の流れがあり橋がかかっています。橋の手前にたくさんの石仏があり、その多くは馬頭観音でした。ここ小谷には馬を供養した馬頭観音と、牛を供養した大日如来が圧倒的に多いと言います。吹雪の中で倒れたり、険しい山道で命を落とした牛馬への感謝と愛情が偲ばれます。

 

千国番所跡と千国の庄資料館

 石仏群を後に橋を渡ると、道は舗装道路になります。5分も歩くと千国街道の大きな石碑があって、道は右へ分岐してそこから千国の集落へ入っていきます。すると、家の前にたくさんの薪を積み上げた大きな民家が現れました。昔は藁屋根とすぐに分かるトタンぶきで、白い壁と黒い板がとても調和がとれて美しいです。その横をプロパンガスのボンベを積んだトラックが坂を上ってきました。その次の家の前にはオミナエシと思われる黄色の花がたくさん咲き誇っています。山里には秋がやってきているようです。

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 千国番所にて                      立派なレリーフ

 3分ほど歩き11:25千国の庄資料館と千国番所跡に着きました。この地にあった民家を移築したと言う資料館は、やはり茅葺屋根をトタンで覆った立派な建物で、その背後に千国番所が再現されています。この番所が置かれたのは慶長年代からといわれ、以来およそ280年間明治2年に廃止されるまで、人や物の通行を監視し松本藩の口留番所として役割を果たしてきました。この番所の街道沿いには盆と暮、「千国市」が立ち、近郷近在の村人でにぎわい、まさに政治・経済・交通の一大中心地でした。
 立派な落ち着きのある建物の中を見学しました。役人の人形が2体机の前に座っているのは東海道で見た関所と同じで、まわりにはここ千国についての説明板が並んでいました。それによると、「千国」という名は今から1000年前この地を開拓した藤原千国と言う人の名に由来しているのだそうです。ほかには千国街道・ボッカ・番所の税などの説明がありました。
 番所跡を出ると目の前に「千国の庄800年記念」とした立派な石碑があり、千国番所の説明が刻まれていました。その先には家の壁面に「塩の道 千国街道」と記した大きなレリーフ?があり人目を引いています。その先で街道はほぼ90度左に曲がって行きます。

 

超モダンな小学校と諏訪神社

 番所跡から7分程舗装された道を行くと、左手に広い敷地に数棟のモダンな建物が見えてきました。前を通ると学校のようなので、これは小学校と中学校が同じ敷地にあるのだと思いました。でも、門のところには「小谷小学校」の名があります。そして、建物は低学年用・高学年用・中央管理棟・体育館と記された説明板も。なんと立派なすばらしい学校なんだろう!!びっくりしました。いくら観光地とはいえ村の財政力がそんなにあるとは思えないのですが…。.後で確認すると、中学校は確かに少し離れた場所にあることが分かりました。
 小谷小学校を過ぎると千国街道は大通りをそれて、千国諏訪神社へと向かっていきます。これは道が違うのかと思ったら、神社本殿の少し手前に「千国街道」の標柱が立っていて一安心。神社・仏閣マップを見ると白馬・小谷地区には諏訪神社と称する神社が12もあることがわかります。古事記によれば、諏訪神社の御祭神タケミナカタノミコトが信州に入られた道筋は、姫川を遡ったものと考えられ、このことから多くの伝説や地名がこの地域に残されているのではないかとのことです。本殿の脇を通るようにして街道は続き、今度は保育園の前を通って雑木林の道を進むと、曹洞宗の源長寺にいたります。寺の下の道には千国街道の標柱・説明板があり、西国33番観音さんが参道に並んでいます。

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 とてもすばらしい小谷小学校              稲穂の実る街道

 

ランチは助六

 源長寺から少し行くと小さな沢を渡り、小さな段々畑が集まるところを行きます。そこにも千国街道の標柱が立ち、傍らには黄金色の稲穂がゆれて、その向こうには新潟県を望む山並みが続くすばらしい景色が広がっています。とても素晴らしい景色なので思わずカメラを向けました。ここから40数キロ先は日本海という地点で、山並みの美しさだけではなく首を垂れる稲穂に迎えられるのは、先人の苦労が今日をあらしめたものに違いありません。こんな時には、日本はすばらしいとつくづく感じます。
 時間は12:00を過ぎて、ぼちぼちお昼にしたいのですが、見晴らしがよくて涼しい場所がありません。ここはどうか、あそこならと言いながら、場所の品定めをしながら進み、背後に大きな木が続く木陰で、見晴らしのよい坂道に腰をおろしました。コンビニで買った助六を食べて休憩。坂道に寝転がって休むと、いつまでもここにいたい気持ちになってきます。40分くらい休憩して小谷村役場を目指して出発しました。

 

大別当・小土山石仏群

 塩の道千国街道の案内表示はとてもしっかりしていて感心します。標柱は100mも行けば立っているくらいたくさんあります。とはいえ標柱が立てられない所もあります。そんな場所では路面に「→」と「塩の道」と文字が白ペンキで書かれているので、道を間違えることはなく安心です。
 出発してすぐに大別当石仏群があります。立派な蔵がある隣に庚申塔や石仏・道祖神などが集まっています。庚申塔は集落の出入り口に立てられ、災難・貧苦苦しみなどから解放され、家内安全、子孫繁栄、延命息災であることを祈ったものです。……60年に一度訪れる庚申の年に庚申塔を建立する。庚申の本体は青面金剛といい、悪病をはやらせる悪神であったが、大音面金剛の呪法を修行して、逆に悪病を除き人間を救うようになった。三眼四手の像で手の数が多いのでよく働く神様ともいい、働き者の女性を庚申様のようだと言う……と、こんな説明があります。

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 蔵の隣に石仏群                     姫川と街並み

 ここから15分程行くとショウキ様があります。といっても大きな岩にショウキ様の絵が彫ってあるのですが、絵が消えかけていてはっきりは見えません。無名の旅人の作といわれています。そのすぐ先に小土山の石仏群があります、10体の石仏が道沿いに並んでいます。石仏群から5分も行くと姫川や小谷の家並みを見下ろす場所がありました。ススキの穂が揺れる間に、家や姫川と向こうの山並みが望めるすばらしいロケーションです。さっそくカメラを構えたのは言うまでもありません。

 

小谷村の一面を見る

 ビューポイントから6分程行くと二十三夜塔があります。二十三夜塔は月待供養に集まった人々によって建てられたもので、文字碑がほとんど。安産や秋の豊作を祈ったものです。二十三夜の月は夜中の12時ころ出るので、女性たちがそれまで飲食・談笑をして楽しむ行事であったといわれます。
 この辺りは三夜坂と呼ばれ、しばらく行くと千国街道の標柱にもその名があります。そして、坂を下ると国道148号に出ます。少し先には小谷村郷土館・名産館・小谷村役場の案内看板が見えています。14:00頃に小谷村郷土館に到着し千国街道ウオークを終えました。
 せっかくなので小谷村郷土館の見学。ここには日本最古の恐竜足跡化石なるものがシンボル展示されています。他には山里の暮らし・千国街道にちなむ展示がありました。よくある展示だと思います。
 見学を終えても帰りの電車の時間には1時間30分もあるし、コーヒータイムにすることに。しかし、この町に喫茶店があるとは思えません。すると隣の名産館にコーヒーの文字があったのでここで休憩することにしました。アイスコーヒーを注文すると、アイスはないといいます。やむを得ずホットコーヒーにしましたが、このコーヒーは蕎麦がき付きとあります。出されたコーヒーには梅干しくらいのそばがきが3個添えられていました。珍しいセットで、これが山里のコーヒーらしいです。特別においしいというものではありませんでしたが、素朴な風味に山里の味がしました。ちなみにセットで400円でしたが、値段は山里価格ではないようです…。
 
ゆっくり休憩して南小谷駅に15:05到着。小さいが畳の休憩室があるなど、なかなか立派な駅舎です。信濃大町行きの電車は15:25なので駅のあちこちを見てみると、何と、東京新宿行きの特急列車「あずさ26号」が一日一本走っています。大糸線は松本から糸魚川を結んでいますが、松本~南小谷は電化区間でその先糸魚川までは非電化です。そのため首都圏から白馬までお客さんを誘致する作戦のようです。駅に置かれた持ち帰り用のダイヤ表を手に取ってみたら、ここの駅員が作成したものらしく不要紙に印刷されていました。  

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 南小谷駅                           白馬駅

 定刻に発車した電車は姫川沿いに峡谷を走ります。狭い所では100mほどしかありません。千国・白馬大池・信濃森上を過ぎると、峡谷を過ぎて広い所を走るのでアルプスの山並みが美しいです。そして、白馬駅に予定通り到着し、今回の街道ウオーキングを無事終えることができました。

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