そうだ、京都に行こう。(その1)
久しぶりに京都をのんびり歩いた。京都駅から東山の界隈に来るときには、ここの前を必ずと言って良いほど通るのだが、三十三間堂や国立博物館には来ても、智積院に立ち寄ったのは今回が初めてだった。
智積院は真言宗智山派の総本山。豊臣秀吉によって焼き討ちされた根来寺が、江戸時代の初めに徳川家康によってこの地に再興された。以前は、幼逝した秀吉の愛児鶴松の菩提を弔う寺がここにあったという。
智積院の庭園は東山隋一と言われ、池を掘って造った築山は中国の廬山を模している。庭に面する大書院の襖絵は当時画壇を席巻していた狩野派のライバル、長谷川等伯・久蔵 父子の描いたもののレプリカ。本物は空調の効いた展示室に移されていて、写真撮影禁止。
能化(住職)が選ばれて寺に入るときに使う輿。案内してくださった尼さんによれば、能化の任期は4年。玄関の正面にある門は4年に1回、新旧交代のためのみに使われるのだそうだ。任期4年と言うとどこかで聞いたことのあるような・・・。
智積院の北隣にある妙法院の庫裏(台所)。秀吉の時代につくられたもので、国宝に指定されている。屋根が高く、梁の木組みも豪壮だ。
妙法院は、天台宗の門跡寺院(皇族や貴族の子弟が歴代住職となる別格寺院)だ。東大路通を挟んですぐのところにある蓮華王院(三十三間堂)は妙法院の管理下にある。
大谷本廟から霊山へ
さらに北隣の大谷廟の山手にある墓地を尾根伝いに登って行くと清水寺の門前に出る。そこから、三寧坂、二年坂を通って高台寺の入り口を東に登ると霊山。ここに維新の志士たちの墓がある。明治維新の1年前に近江屋で暗殺された坂本竜馬と中岡慎太郎の墓も左右隣り合ってある。
祇園祭 宵々々山
祇園祭は、平安時代に流行した疫病退散を祈願する御霊会(ごりょうえ)を起源とする八坂神社のお祭り。9世紀に当時の国の数66本の鉾を立てて悪霊を祓ったのが始まり。
元々、感神院という天台宗の寺があり、その末社に「祇園社」というインドの祇園精舎の疫病神「牛頭天王(ごずてんのう)」を祀る神仏混淆の社があった。明治の廃仏毀釈で感神院が廃寺となり、祇園社が「八坂神社」と改称して寺の施設を引き継いだ。牛頭天王は、薬師如来の再来とされ、日本に伝わったのちに素戔嗚尊(すさのおのみこと)と習合したと言われている。気性の荒い疫病神だが、丁重にお祀りすればかえって災厄を免れるとされ、除疫神として崇められている。
17日が山鉾巡行、前夜祭が宵山。3日前の昨晩は宵々々山にあたる。
下の写真は、新町通りの様子。京都中心部の東西の通り沿いに、山や鉾が置かれている。通りに面したお宅の2階から渡りが掛けてあって、中を見られる鉾もある。
この期間中は、家宝を披露するお宅もあって、窓越しに絵や書を描いた屏風を飾って、道行く人たちが見られるようになっている。街中が美術館(トリエンナーレ状態?)になったような気分。
四条通の「月鉾」。この辺一帯は大通りも通行止めで、すごい人の賑わいだ。千円出して厄除けのチマキなどを買うと、隣りのビルから鉾に乗り移って中を見ることができる。
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