国際性を考える
町内の中学校の校長先生が中学生海外派遣事業の引率でカナダへ行かれた体験を踏まえて「国際性を考える」と題して書かれた文章です。来週、中学生たちの帰国報告会が開かれます。
この夏休みに私は、東浦町中学生海外派遣事業の引率でカナダのVancouverへ行ってきました。自然が豊かで住みやすいVancouverは海外からの移民が多く、世界各国から多くの人たちが移り住んでいます。公用語はもちろん英語なのですが、家族や同じ国の人同士で話すときは母国語を使います。街を歩いていると時折英語ではない言語が飛び交い、「どこの国の人だろう」と思ってしまいます。また服装や食べ物も実に国際色豊かで、いろいろな国の料理が食べられます。居ながらにして世界各国の事情を肌で感じることができる国際都市です。
一方で多種多様な文化が入り交じる街では、当然のことながら人々の価値観も違います。常識という一言で括ることが困難だろうと思うほど、いろいろな人が暮らしていいます。何も言わなくても察してくれる、あるいは人の気持ちを慮るといった日本的な風習はここでは通用しないのではないでしょうか。でもこの街で暮らす人々はみな親切で礼儀正しく、「すべての人々が幸せに暮らせるように」「互いの立場を尊重する」ということが常識の根底にあるように感じました。多くの人々が利用する路線バスに乗ったとき、そのことを強く感じました。
街の人々の主な交通手段はバスなのですが、それはあらゆる人が利用することを想定しています。床が低く乗り降りしやすいことは言うまでもありませんが、ベビーカーや車いすを利用していても、座席を折りたたんでスペースが確保できるなどの工夫がしてあり、普通に利用できます。また自転車に乗っている人も利用でき、自転車はバスの外側、フロントの部分に設置する場所があります。
ある時歩行器を手にした老人がバスから降りようとした時に転びそうになったので、支えて降りるのを手伝おうとしたら、一緒にいた乗客に止められました。するとバスの降り口の床がせり上がり、渡し板が出てきて歩道とバスの間に渡されました。運転手がきちんとサポートするから助けてはダメなのだそうです。また乗客はみな寛容で、これらの人々が乗り降りするのに手間取っても優しく見守り待っています。障害のある人たちにも優しく、とことん人々の暮らしやすさを追求した街だと思いました。
さて世間では「グローバル人材の育成」が叫ばれています。そこで求められているのが①語学力・コミュニケーション能力②主体性、積極性、チャレンジ精神等③異文化理解と日本人としてのアイデンティティーです。これらの能力の育成に、今回のような海外体験、とりわけ人々の暮らしの中に直に入るホームスティが果たす役割はとても大きいと感じました。海外での生活に慣れない私たちにとって、いちばん戸惑うのは英語が話せないことではなく、相手の言葉が聞き取れないことです。自分の言いたいことは拙い英語でも何とか伝えることができます。ところが相手から返ってくる言葉がなかなか聞き取れないのです。すると「sorry, pardon」を繰り返すことになります。でもこれも、相手がこちらのことをわかってくれるようになるにつれ、聞き取れるようになってきます。相手も何とか私たちに伝えようとして言葉を換え、身振り手振りを加えて説明しようとしてくれるからです。言葉とは人と人とが通じ合おうとする心の内から発せられるものだということがよくわかりました。そしてそれを支える、もととなるもの、それは出会いにあると思いました。
「言葉の意味を知りたいとは、誰かの考えや気持ちを正確に知りたいということ。それは人とつながりたいということ」、映画「舟を編む」の中の言葉です。海外に行けばそこで暮らす人々との様々な出会いがあります。そしてその人たちと語り合います。そのとき私たちは心の底からその人たちと理解し合いたいと思います。すなわちつながりたい。そのためにはどうしても言葉の意味を正確に知る必要が出てきます。というよりも無性に知りたくなります。
そして、それによって互いの考えを理解し合い、心が通じ合えば、それはかけがえのない喜びとなります。この喜びこそが新たな出会いを求める動機となり、さらにいろいろなことを学ぼうとする意欲につながっていくのではないでしょうか。そしてその出会いがすばらしいものとなるためには、相手から学ぶだけではなく、私たちも日本人として相手に与えるものがなくてはなりません。それは日本という国に生まれた我々でなければ与えることのできない何かです。それこそが日本人としてのアイデンティティーなのではないかと思うのです。
今回現地の方と食事を共にし、語り合う機会を得ました。日本とカナダの歴史、風土、文化の違い。仕事のこと、人生観などいろいろなことを語り合いました。そのとき感じたのは、人として大切な価値観は通じるということです。私たちは生まれようとしてこの国に生まれたわけではありません。この地球上に暮らすすべての人がそうです。ある土地に生を受け、そこで成長していきます。人として生まれたスタートラインはみな違います。でもその根本、私たちは同じ人類として共にこの地球上に生きているという部分ではみな同じなのです。そして共に平和に豊かに暮らしたいと願っています。その、「人として生きていく」という根本の部分において、人はつながることができるのだと思いました。
三年生国語「温かいスープ」という話の中で作者が、「国際性とは、相手の立場を思いやる優しさ、お互いが人類の仲間であるという自覚であり、─ 中略 ─ それは一人一人の平凡な日常の中で、試されている」と語っています。私も今回このことを強く思いました。国際性の基調は我々の日常の中にある。日々どう生きるか、その生き方にこそ国際舞台で活躍できる日本人としての素地が養われていくのだと思いました。
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