堅雄堂の現在と在りし日の姿
乾坤院の火災の跡です。左上の写真は座禅堂のあったところ、右上の写真は本堂のあったところです。本堂北の高台にあった堅雄堂(下の写真中央)も焦げた柱を残すのみとなってしまいました。
堅雄堂は、1671年、当時岡崎城主の水野監物忠善が、先祖供養と曽祖父に当たる水野忠政を顕彰するため建立しました。堂の名は忠政の法名「大渓堅雄大居士」が由来です。内部には水野家代々の位牌が祀られていました。
→http://www.medias.ne.jp/~kenkonin/guide/kenyudo.html
この下の写真は、2013年8月に開かれた刈谷城築城四八〇年記念会&水野家関係自治体サミットの翌日に、徳川宗家の徳川恒孝ご夫妻、水野勝之ご夫妻をはじめ水野家の皆さん、結城の士族会(澤瀉会)の皆さんが、乾坤院にお越し下さった時のものです。ちょうど水野さんと徳川さんが堅雄堂の中に入られて先祖にお参りされているところです。
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