男女共同参画講演会「イヤダと思ったら それはDV」 を開催
9月11日(日曜日)の午後に、男女共同参画講演会「イヤダと思ったら それはDV」を開催しました。
いま、東浦町の議会議員は、16人中7人が女性(44%)で県内トップ。藤江では町で初の女性区長が誕生しました。かつては地元生まれの地元育ちに限るという不文律がありましたが、いつの間にかに他所から来たお嫁さんが区長になる時代になりました。男女には身体の機能の違いはあるにしても、社会の中で能力を発揮する上で基本的な違いはないはずです。根拠のない偏見を取り払って、だれもが伸び伸びと能力を発揮できる社会にしていかなくてはなりません。
男女差の多くは根拠のない決めつけと、それによる刷り込みが根の部分にあります。少し脱線しますが、血液型神話も同じで、科学的根拠がないにもかかわらず、そう信じ込むことによってA型・B型・・・それぞれのステレオタイプを演じてしまっている例ではないでしょうか。偏見から自らを開放することが、差別の解消につながります。
今日のテーマはDomestick Violence。かつては、恋人同士や夫婦など特別な関係にある2人の問題に他人は立ち入らないという考え方が強かったのだろうと思います。しかし、DVにおける支配・被支配の関係は当事者間だけではなかなか解消できません。だから、第三者や公的機関が関わる必要があるのだと思います。相手が恐怖を感じればDVです。だれにでも起こりうることと考えて、我々はパートナーと接するべきだと思います。
講演では、愛知淑徳大学講師 中島美幸さんをお招きして、“まだまだ認識の低いDV”、“どこにでもありうるDV”、“女らしさ・男らしさの刷り込み”・・・のお話しをしていただきました。男女共同参画関連の行事は女性の参加が多いのですが、ぜひ世の中の男性にも聴いて欲しい内容でした。
講演を聴いていて興味深かったのは、サルトルの事実婚の相手、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「人は女に生まれない。女になるのだ」という言葉です。「女らしく」生まれるのではなく、社会の偏見と刷り込みによって「女らしく」作られていくのが実態だと言っているのです。シンデレラなどの西洋の物語でも、女性はせいぜい舞踏会で女性美を見せる程度で、白馬に乗った王子さまを待つだけの存在です。眠れる森の美女に至っては何もしていません。(さすがに「アナ雪」は最後に結婚しません。あれはディズニーの今日的なマーケティングのなせる技なのでしょう。)
さらに、日本語の場合は、明治以降、女性言葉が作られたことにより、女性がインパクトのある言葉を使えなくなってしまったことが挙げられます。たとえば、女性は痴漢に遭っても「やめろ」などの命令形を使えず、「やめてください」「何をするんですか」のような、お願い・疑問形になってしまいます。その点、大阪のおばちゃんは方言が使えるだけ、元気なのかもしれません。
同時に男性も、「男らしく」ないといけない、常に強く、優位に立たねばならないという刷り込まれた強迫観念に苛まれて、見栄や意地を張らねばならない状況に追い込まれています。ここに気づいて、お互いにもっと楽になるべきではというのは頷けます。
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