フォト
2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

ウェブページ

« 快晴。青空と青葉が目に眩しい。 | トップページ | みんなで化学反応! 今年度の新入社員募集ポスターが出来上がりました。 »

2017/04/24

新城市で開催された若者政策セミナーのレポート

4月9日に新城市で開催された若者政策セミナーに行ってきました。新城市の自治体若者政策ついて書かれた 松下啓一 相模女子大教授と 穂積亮次 新城市長 共編の新刊本の出版記念との位置づけです。
地方自治に携わって日頃から感じるのは、若者の参加がうまくいっていないということです。これは若者の無関心だけが問題ではないと思うのです。新城市では、自治の基本的な考え方を明確にして、若者議会を立ち上げ、そこから出てきたまちづくりの提言を実現するなど、若者パワーを引き出す仕組みづくりに積極的に取り組んできました。
その新城市でどのような若者政策が行われたか、またその意義についてのセミナーです。以下は、私なりの内容の要約です。

Wakamonoseisaku20170409a

 相模女子大学教授 松下啓一さんから
自分は、新城市の自治基本条例づくりに携わった。若者政策を体系的にやっているのは、新城市だけ。出発点は自治基本条例だ。それで、みんなでやろうということになった。それ以前は役所ガンバレ(役所におまかせ)だった。例えば、空き家問題は、市長、議員だけが頑張っても解決できない。
市民の中で、力を出していない(出番がない、居場所がない)のは、若者だと問題提起しても、ほとんどの首長は「そうですねえ」で終わり。しかし、新城市長の穂積さんは別だった。若者政策に取り組んで成果を出している。実績の積み上げがないと本は書けるものではない。

 第1期若者議会 議長 竹下修平さんから
自分は、26歳、豊川でシステムエンジニアをしている。若者議会は2015年4月に市長の付属機関としてスタート。若者の想いを実現するために、あらかじめ1000万の予算をつけている。若者議会のメンバーは、16歳~29歳。定員20人+市外委員がいる。
きっかけとなる自分の原体験に、2012年7月に
イギリスで開催された世界新城会議Newcastle of the world)がある。この時、大学4年生で参加し、青年の部の4人で発表をした。痛感したのは、ほかの国の人たちと比べて日本人は、①消極的、②自分のまちのことを知らない・興味ない・紹介できない、それと③英語力不足だ。
日本は、行政・議会・一般の市民に比べて、まちと若者の距離が遠く感じた。その点、イギリスには青年会議があって若者とまちとの関係が近い。
それで、
新城ユースの会を立ち上げ、豊橋技術科学大学の留学生を招いて英語でディスカッションをした。また、自治基本条例で位置づけられている市民まちづくり集会に実行委員として参加。市長がこれを見て若者の力が必要だと気付いた。
2014年、
若者政策ワーキングで若者参画条例を答申。2015年4月から若者議会がスタート。
若者議会は単なる政策立案機関ではない。若者議会とは“森づくり”、すなわち、50年後を見据え、愛郷心、自治力を育む場所だ。

 第2期若者議会 議員 村松里恵さんから
自分は、16歳、高校2年生。若者議会に入ったわけは、商店街の衰退がきっかけ。活動するうちに、いつの間にか新城が好きになった。
若者議会の成果(提言)として、例えば、
図書館リノベーション・・・居心地の良い癒しの場所、勉強スペースが足りなかったところ、資料館を多目的スペースにした
まちなみ情報センター・・・ボードゲーム、ディベート、愛称
広報PR・・・県外(スカイツリーなど)でも若者議会をPR
魅力づくりが課題・・・観光、教育(シチズンシップ、アクティブラーニング、教育のブランディング)への取り組み

シンポジウムには全国から180人が参加。マニフェスト大賞を受賞した。

 東京大学名誉教授 姜尚中さんから
松下さんと穂積さんの本を読んで、とても面白く、また驚いた。全国から見ても素晴らしい市長だと思う。
自分は、埼玉の大学を理事長と喧嘩してやめて、今、かつての同僚だった現市長に頼まれて熊本県立劇場の館長をしている。
日本の若者・・・大きい課題だ。そもそも若者とは何か。
自分は「高校に行くのがいやだった」と言ったら、京都大学名誉教授 元文化庁長官の河合隼雄さんは「16歳から数年は丸太の上を歩いているようなもの(思春期は危うい)」と答えた。昔は若者は、出番と居場所を当事者意識を持って体験した。例えば元服やお歯黒、民族によっては抜歯やタトゥーで変身したりするところもある。社会がしくみとして若者を認知した。
これがなくなってきたのは、学校社会になったから。1970年代、イワン・イリッチは「脱学校社会」を唱えた。16歳であれば高1、学校へ行っていないとアイデンティティーを失う。唯一ステージを認知するのは、入学式と卒業式だ。
東日本大震災の時、福島県相馬市では、震災直後の様子を見ると、瓦礫よりも散乱した写真が目に付いた。写真は人生の通過儀礼の記録だ。生きるということは通過儀礼を経ていくことだ。例えば戦後であれば、青年団があった。
学校ではそれがフラットになる。かつてパイナップルは珍しかったが、一年中スーパーにあると旬がなくなる。若者の自覚の区切りも同じだ。イニシエーション(ステージが移り変わるときに今までの自分が消えること)を受けるのが若者議会の意義だ。地元への愛着もしかり。学校が人生の置き場所と考えがちだが、(地域の中で)学校だけでは賄いきれない。この20年でそんな事態が進んだ。
大学はglobalとlocalしかない。globalは丁々発止?英語でしゃべれる?ならばイギリス人は最もグローバルか? ローカル化は必ず進むし、ローカル抜きにグローバルはあり得ない。宮城県の小さな港町に“たかまさ”という蒲鉾屋がある。ミャンマーとバングラディシュに原料を求めているので、ベンガル語を勉強したそうだ。英語でないところが面白い。ローカルとリンクしているのがグローバルだ。これはまちの再建にかかわる。
自治体には外の目、外との化学反応が必要だ。本当にグローバルだけであり得るのは、金融のみだ。ゴールドマン・サックスに勤めている20歳年下のかつての教え子に聞いたら、年俸3億円。彼はローカルは知らないし要らない。それはまともではない。ふつうは一定のロケーションがないと我々の生活は成り立たない。
当事者意識を持つことの対局は、クレームだけは付けるあなた任せの民主主義だ。当事者意識と外の目が必要になる。
大きく、高く、速く、強いのが近代的な価値だが、これは1970年代で終わっていた。1980年代から日米構造協議で金余りの時代となり、そしてバブルがはじけた。バブル崩壊から20年以上、デフレ、少子高齢化、東京一極集中。いまでも続いている。
港区の昼間人口は夜間人口の4.5倍、外国人は10%、一人当たり年収は1千万円以上。NHK以外の局がすべてある。一方、人吉の球磨村は一人当たり所得が195万円、猟師がいるし,棚田や菜園がある。グローバルのメッカ港区と球磨村と一体どちらが幸せだろうか。数字で測るか?
これからは2%成長も難しいと思う。ピークアウトした社会にドーピングしても、地域はついていけない。違う価値観が必要になる。
ドイツに行って高層ビルを見るのはフランクフルトくらい。ミュンヘン100万人、シュツットガルト20万人、エコシティといわれるエアランゲン10万人程度だ。ワーラウ?という長期の休みがある。日本では、首都や大学を分散するのが大事なことだったはずなのに、東京オリンピックまでは思考停止だ。
17年前に旧東ドイツに行った時、自治体やコミュニティが壊れると、公害や失業がやってきて、人々は極端なもの(外国人排斥、ネオナチなど)に惹かれる。特に若者は大人よりも極端に走る。明治維新はたまたま良い方向だったが。
だから若者の居場所と出番が必要だ。それを新城が率先している。
若者のネットワークがあるから若者議会ができた。若者議会が発酵舞台になる。

 司会の鈴木孝浩さんから
自分は、3年前に他所から越してきた。新城市作手で狩猟をする人は32歳でも若い。
竹下さんの世界新城会議の原体験から発展して、いまでは、その若者議会が次の若者たちの原体験になっている。若者が自分たちで成し遂げる経験が大きな糧となる。

 新城市長 穂積亮次さんから
すがすがしく、楽しく、心躍る時間となった。今日のシンポジウムは、市職員の自主研修グループが主催した。
本の第2章を、若者、メンターとなる関係者、市職員も書いた。昨年8月に原稿、12月に本が完成のつもりが、半年遅れた。いま、若者議会は外部から食いつきが良い。モテ期のうちに本を世に出したい。
出版したら出版記念をやろうという話しが出た。ちょうど12月に県主催の「心の健康フェア」が豊橋で開催されて、姜尚中さんが来たので、その時に楽屋に飛び込んで講演をお願いしたら、快く引き受けてくれた。
若者議会のメンバーの中で、就職先に新城を考えていなかったのに、今では新城の企業に入って企業展で新入社員募集の説明役になっている女性がいる。うれしいことだ。
「自分の提案が政策になって予算がつくことへ怖さを感じた。考えてみれば当たり前だが、だからこそ市議会が要ることが実感としてわかった。」という感想を聞いた。
村松さんは、今、豊橋の高校へ通っていて、以前はある仕事に就きたいと考えていたが、いまでは政治家、議員になりたいと考えているそうだ。竹下さんは、先日「将来の市長です」と紹介したら、否定しなかった。ある若者議会メンバーのおばあちゃんが「孫の人生の基礎をつくってくれた」と喜んでくれた。
若者政策は、若者と政治の距離を一挙に縮めた。若い力が必要だと言いながら、若い力を活かす場が準備されていない。社会から呼びかけていない。そこで、世界新城会議が一つのきっかけになった。若者の想いを、大人が歓迎してくれた。汗を流す職員が育っていた。熱意と行動力と市民性があればできる。

  新城市若者議会ホームページ

  新城市若者議会Facebook

  新城市HP >若者議会

  新城市自治基本条例

  新城市若者議会条例

  新城市若者議会パンフレット(抜粋)

  新城市若者議会第3期メンバー募集チラシ(表)
  新城市若者議会第3期メンバー募集チラシ(裏)

Book_jichitaiwakamonoseisaku

« 快晴。青空と青葉が目に眩しい。 | トップページ | みんなで化学反応! 今年度の新入社員募集ポスターが出来上がりました。 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

イベント」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 新城市で開催された若者政策セミナーのレポート:

« 快晴。青空と青葉が目に眩しい。 | トップページ | みんなで化学反応! 今年度の新入社員募集ポスターが出来上がりました。 »