6月10日(土)のブラタモリは、名古屋だった。
NHK総合でブラタモリの放送があった。訪れたのは名古屋。
テーマは「尾張名古屋は 家康でもつ」だった。徳川家康は信長や秀吉と違って、三河の出身。と言っても、幼少期に織田方へ拉致され熱田に2年ほど住んでいたことはある。
しかし、信長や秀吉の頃の尾張の中心地は清州。荒れ地だった熱田台地の北の端に名古屋の城と町をつくったのは家康だった。
清州からは、町名もそのまま町人ごと引っ越してきた。大津町、伊勢町、七間町などの地名はその名残りだ。城から真っ直ぐ南下している今の本町通り沿いが町人町だった。
名古屋の町の碁盤割りは、南北の通りにも東西の通りにも町家の間口があった。町家の奥の碁盤割りの中心には空地ができるが、そこは寺社や共有の会所(閑所)の土地として使われたりした。今ではそんな場所にタワーパーキングがあったりする。
碁盤割りの一区画は幅が100mだった。それを使って久屋大通(100m道路)が造られた。
次回は、6月17日(土)19:30から。名古屋から熱田をブラつくそうだ。
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