いにしえの奈良の都の
久し振りに奈良を訪ねました。目的は、春日大社の節分万燈籠。2000基の石燈籠と1000基の釣燈籠、合わせて3000基の燈籠に火が灯る日本一の灯篭祭と言われています。
もう一つの目的は、懐かしの武蔵野旅館に泊まること。小学校の修学旅行で枕投げをした旅館です。東浦の小学校の修学旅行は長い間、若草山の登り口にあるこの旅館を使っていました。2006年に火事で休業してしまったのですが、その後リニューアルし古都の宿「むさし野」として生まれ変わりました。今でも修学旅行生を受け入れているそうで、我家の子どもたちもここでお世話になっています。
ところで、奈良なのに何で「武蔵野」なのか、昔から不思議に思っていました。改めて宿の人に聞いてみると、「奈良時代に小野美作吾という役人がいました。赴任地の武蔵野国から都へ帰還しましたが、妻を武蔵に残したまま亡骸を武蔵に葬って欲しいと言い残して亡くなってしまいます。仕方がないので若草山の麓に葬り、付近を「武蔵ヶ原」と名付けたのだそうです。」と教えてくれました。その後、武蔵の地名は無くなりましたが、その名残が宿の名前となったのだそうです。
京都のお寺は美しい庭と建物を見るのが楽しいですが、奈良のお寺は(もちろん法隆寺や東大寺のようなスケールが大きくて様式も大陸を思わせるようなエキゾチックなところはありますけど、)文字通りがらんどう(伽藍堂)で何もありません。奈良のお寺の魅力は、なんといっても仏像でしょうか。東博「阿修羅展」で大騒ぎになった興福寺の阿修羅像や中宮寺の菩薩半跏思惟像もしっかり見てきました。
と偉そうなことを言いつつ、法隆寺では、いにしえの人たちと1300年の時を経て空間を共有してるんだと思うとなんだか感動しました。二上山の麓にある當麻寺(奈良~平安期の東西両塔が現存する唯一の寺)は、初めて行きましたが、広い境内に多くの建物が並び、飛鳥時代から続く古寺の風格を感じました。
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このプログでは西の記事は少ない気がしますが"春日大社の節分万燈籠"とかつて修学旅行で泊まった旅館がメインの旅行かなと思います。家族の方が6年生の修学旅行で泊まった、6年生に戻ったそれぞれの思い出!!!
「當麻寺」=奈良盆地の西端、大阪府に接する位置--奈良へは私はよくいく方だと思いますが、当麻寺は電車の路線の関係?で行きにくい場所となっていていまだに行っていません。1.夕刻は山のかなたに沈む西日がキレイだということ。2.折口信夫(釈迢空)の幻想的な小説『死者の書』の舞台ということで霊が存在?、他とは違うあの世に近い地域だという印象を持っています。今回たどられたルート=若草山、興福寺--中宮寺、法隆寺-から當麻寺は頭の中ではつながってきません。位置を地図で確認しました。車のルートでは當麻寺に寄って帰るのは特別のことではないでしょうが、、、
投稿: とだ-k | 2018/02/09 20:11
歴史探偵の気分を味わえる
ウェブ小説「北円堂の秘密」を知ってますか。
北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。
グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索すればヒットし、
小一時間で読めます。その1からラストまで無料です。
順に読めば感動に包まれます。
重複、既読ならご免なさい。
お仕事のリフレッシュや脳トレにご利用下さいませ。
物語と観光地が絡むと興味が倍増します。
投稿: omachi | 2018/02/17 17:09
とだ-kさま
意識していませんでしたが、西の記事は少ないですか?
「小学校の修学旅行で泊まった宿が今でもあるから泊まってみよう」というのはおもしろい企画だったと思います。眼前に若草山のある絶好のロケーションです。でも今では中腹から上がフェンスで仕切られ、昔のように3つのピークを登って、草地を駆け下りてくることができないのが残念です。枕投げもしませんでしたし、お土産の木刀でチャンバラもしませんでしたが、良い思い出起こしになりました。
奈良市街からは、前方後円墳群を見ながら平城京跡を回り込んで法隆寺方面に向かいました。もう少し見て行こうということで、私は山辺の道や談山神社へ行きたかったのですが、少し遠いということで、當麻寺に寄ってみました。とくに計画性はありません。
投稿: 神谷明彦 | 2018/02/18 08:55
omachiさま
おもしろいことを教えていただきありがとうございました。
先日は興福寺にも行きました。南円堂は朱塗りで大きく目立つのですが、(寺町の方から参道を行くと)その奥の目立たないところに北円堂があります。興福寺には創建当時からの建物はなく、鎌倉時代に再建された北円堂が最も古い建物で、国宝に指定されているのですが、近付く観光客も少なくひっそりと建っていました。建物の造りはまるで夢殿のようなので、どんな曰く所以があるのか、気にはなっていました。
私は読むのが遅いので、1時間半くらいかかりましたが、読ませていただきました。移民国家の共同幻想のおはなしですね。ちょうど奈良を訪ねた後だったので、情景を思い出しながら読むことができました。
機会があれば、つれづれログでも、ウェブ小説「北円堂の秘密」を紹介したいと思います。
投稿: 神谷明彦 | 2018/02/18 09:08
2/27定年退職者の関西グループの仲間に入って古い町並みの大阪府の富田林へ近鉄で行きました。終りが早かったので各停駅當麻で降りて気になっていた当麻寺によってきました。静かで大きな境内でしたがとくに霊を感じることはありませんでした。
1.舞台は当麻寺を麓にもつ二上山である。--「死者の書」折口信夫
ここは日本のミステリーラインともいうべき笠置・生駒・二上・葛城・金剛・高野・吉野・熊野のうちの二上にあたっていて、大津皇子伝承や中将姫伝説がのこっている。折口はこれらに取材し、古代の人の観念そのものとなっていく。
松岡正剛の千夜千冊」では「死者の書」を高く評価しています。
https://1000ya.isis.ne.jp/0143.html
2.當麻駅から当麻寺に行く途中に横綱白鵬も訪れたという「當麻相撲館」がありました。
葛城市のホームページに相撲館のことが載っていました。
相撲の起源として、「野見宿禰」(のみのすくね)と「當麻蹶速」(たいまのけはや)の天覧相撲が日本書紀に書かれています
http://www.city.katsuragi.nara.jp/index.cfm/14,18746,41,387,html
投稿: とだ-k | 2018/03/04 16:28
とだ-k様
このあたりをのんびり旅したことはありませんが、古来からの伝承の地がたくさんあって、それらの関連を考えるだけでも興味は尽きないかもしれません。いつかは余裕を持って訪ねたいものです。
投稿: 神谷明彦 | 2018/03/19 01:31