各地区の敬老会に出席
先週末、土曜日は緒川と森岡、日曜日は生路、石浜、平池台自治会の敬老会に出席しました。今日は、緒川新田、藤江、石浜中自治会の敬老会に出席しました。
石浜中自治会の敬老会では、恒例のクラウン・チョクさんのバルーンパフォーマンスに飛び入り。チョクさんに言われるままに顔をメークしてもらい、風船のパーツをつくるお手伝いをして、さあ、何が出てくるでしょうか・・・なんと、マーメイドが出てきました。
※動画も撮ってくださった方がいらっしゃいました。
→https://www.facebook.com/mitsuru.utsumi.5/videos/1837584143028931/
各地区の敬老会の祝辞では、以下のようなことを述べさせていただきました。
本日は敬老会と言うめでたい席にお招きいただき、ありがとうございます。ご長寿おめでとうございます。また、皆様方の努力のおかげで今の日本が、そして東浦町があることを改めて心より御礼申し上げます。
昨年はこの場で大岡越前守の話をしましたが、今日は初代刈谷藩主 水野勝成についてお話ししたいと思います。
勝成は、忠政の孫で、於大の方の甥(家康の従兄弟)にあたります。勝成から数えて20代目のご当主が、毎年於大まつりに来てくださっている水野勝之さんです。
さて、水野勝成は、戦国から江戸時代の頭にかけて活躍したわけですが、大変な長寿で88歳まで生きました。健康長寿で知られる家康でさえ75歳です。
戦が大好きで、16歳の時に高天神城の戦いに初陣して、15の首級をあげています。血の気の多い性格だったようで、若い頃に家臣を怒りにまかせて斬り捨てて、勘当されてしまいます。そして十数年の間、全国をさすらってあちこちの大名家に雇ってもらったりして過ごしていたようです。やがて、家康の取りなしで、家に帰ってくるのを許されて、刈谷藩主になります。
大坂の陣の時に、家康から一国一城の主なんだから、もう突撃するなと言われても、やめられません。一番乗りめざして突撃してしまいます。
その後、戦功を認められ、刈谷3万石から大和郡山6万石へ。そして50代半ばで備後福山10万石の藩主になります。福山藩主となってからは、さすがに落ち着いたのか、名君と呼ばれます。一揆などは一度も起こらなかったそうです。
家光の時代になって島原の乱が勃発します。幕府は鎮圧に手を焼いて、現地の司令官の板倉重昌は戦死してしまいます。戦国が終わって平和の世の中になったので戦争のエキスパートがいません。そこで白羽の矢が立ったのが、当時75歳の勝成でした。兵を引き連れて島原まで行きます。75歳ですよ。そしてやっぱり先陣を争ってしまったそうです。亡くなる1年前の87歳の時に鉄砲を撃って20間(36m)離れた的を打ち抜いたという記録があるほど元気だったようです。
皆様方の中にも、若い頃は、どうにも手がつけられないヤンチャだった方もいらっしゃるかもしれません。良いお歳になってから、地域のために一肌脱いで活躍する人生もあるかもしれません。
人生それぞれのステージがあることと思います。もう歳だから、何歳だから、何々してはいけないなんてありません。皆さんが、自分らしくそれぞれの個性を発揮して充実した毎日を過ごされることを祈念しまして、お祝いの言葉とさせていただきます。
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