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2019/01/17

水野氏講座「知恩院と傳通院」 ~家康の母於大の方祀られ方の謎~ のご案内

京都東山のある知恩院と江戸小石川の傳通院の造営は、於大の方が慶長7年(1602)に京都(伏見)で亡くなり、翌8年家康が征夷大将軍に就任する中でおこなわれました。講義では、この二つの寺の造営の背景を考えることで、謎に満ちた於大の方の祀られ方を考察します。

 日時: 2月23日(土) 9時30分~11時30分
 場所: 文化センター2階 視聴覚室
 講師: 岐阜県立看護大学 非常勤講師 高木傭太郎さん
      (戦国近世史の専門家)
 受講料: 400円 要事前申し込み

詳しくはhttp://www.town.aichi-higashiura.lg.jp/kanko_bunka/rekishi/1865.htmlをご覧ください。

<水野家講座にちなんでお知らせ>
亀城公園の隣接地で建設中の「刈谷市歴史博物館」が完成。3月24日(日)にオープンします。

<うのはな館企画展のご案内>
東浦町郷土資料館では企画展「知多四国八十八ヶ所と日本の巡礼」を開催中。1月20日(日)までの開催です。

詳しくはhttp://www.town.aichi-higashiura.lg.jp/soshiki/shogaigakushu/bunkazai/ibento/1503195855241.htmlをご覧ください。

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コメント

講座「知恩院と傳通院」講師高木傭太郎さん受講御礼です。(町のホームページより担当部署に送信しました)_実り多い、短い2時間でした。資料には多くの内容がありましたが、重点的に丁寧な説明がされて久しぶりに充実の2時間でした。
1.これまでは知恩院は法然浄土宗の本山+松平氏は浄土宗であるというのが私の認識でした。家康は伏見でなくなった於大の方の葬儀を知恩院で行い、於大の菩提寺としたこと。スライドで家康が大整備した知恩院の大伽藍、本堂に祀っているという於大の座像と家康の束帯の座像を映していただきました。家康の知恩院大整備と於大の方の菩提寺とした、というご紹介には地元の人間として縁の深さを教えていただきました。2.於大の方が75歳という高齢にもかかわらず京へ上った理由も古文書を読み込まれて話されました。秀吉が亡くなり、関が原が終り、家康が朝廷から征夷大将軍の称号を受けるために動いていて、母於大の方の動きが必要だったということです。於大の方が秀吉の命日に秀吉正妻のねね=北の政所を訪問したこと、於大の方が家康と朝廷に訪問したことを知りました。当時は秀吉に可愛がられた諸大名や秀吉に人気の民衆と豊国神社のにぎやかな祭礼は"ねね"が取り仕切っていて、秀頼の後見を頼まれていた家康は京都ではそれなりに気をつかっていたようです。スライドで豊国神社、方広寺や近くの知恩院が載っている「洛中洛外図屏風」をいくつか見せていただきました。3.家康が亡くなった後呼び名をどうするかで金地院崇伝と天海とが争ったとか。崇伝は「大明神」天海は「大権現」をそれぞれ推したということですが、結果はわれわれが承知している「大権現」となったようです。金地院は今でも京都南禅寺にあり小堀遠州がつくったという庭園があります。4.駿府で行われた於大の方の3回忌7回忌等と増上寺大僧正の2人や傳通院の法号のエピソードも史料をもとに紹介いただきました。5.「知恩院御由緒」「知恩院旧記採要録」「舜日記(吉田神社梵舜の日記)」「駿府記」「本光国師日記」等を読み込まれていて私どもはそのエッセンスで今日の2時間を楽しませていただきました。貴重な時間を過ごさせていただきました。

とだ-k様
レポートありがとうございます。
私も聴きたかったです。残念!

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