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2020/03/29

矢作川水系の発電所探訪

先週末に、勘八峡から矢作川を遡って矢作ダムの上流、長野県境近くまで行ってみました。
矢作川は、長野県下伊那郡平谷村(治部坂峠付近)の大川入山(1908m)に源を発し、上村川となり岐阜県恵那市(旧上矢作村)で愛知県最高峰の茶臼山(1416m)から流れ出る根羽川(上村川よりも規模は小さいが本流とされている)と合流、すぐに、設楽町に端を発し稲武町(現豊田市)を流れる名倉川と合流し、奥矢作湖(矢作ダム湖)に注ぎます。そして、しばらく愛知・岐阜県境を流れた後に豊田市内を流れ、下山、足助方面から来る巴川と合流、岡崎市に入り城下を流れる乙川と合流、西尾市と碧南市の境界で三河湾に注ぐ、全長122kmの一級河川です。西尾市を流れて旧一色町と旧吉良町の境で三河湾に注ぐ矢作古川は昔の本流で、現在の矢作川下流部は江戸時代に氾濫を防ぐために開削・分流されたものです。

矢作川は、電力消費地に近かったためか、大正から昭和初期にかけて多くの水力発電所が建設された歴史があります。私の祖父は電力会社に勤めていて、矢作川中流の百月(どうづき)発電所で電気技師として働いていました。私の母は発電所の裏手にあった社宅で生まれました。ですから、祖父の思い出の場として子どもの頃はよく矢作川の発電所に連れて行かれました。
本当に久し振りに、矢作川の発電所を最下流の越戸ダムから矢作ダムの貯水池が終わって岐阜県に入るところまで辿ってみました。

勘八峡は、矢作川が山から平地に出る所に位置します。ここに昭和4年(1929年)につくられたのが越戸ダムと越戸発電所です。ダムの高さは22.8m、長さ120m。川幅いっぱいに12門のゲートがある堂々としたコンクリート重力式ダムです。ここから600m下流に導水路で水を導いて発電をします。落差は約17m、使用水量は最大約62㎥/s、最大出力は9200kW。矢作川の古い発電所の中では大きな発電所です。昔の発電所は有人運転ですが、今では、越戸に矢作川水系の制御所があって、無人の発電所群をここで監視・制御しています。越戸ダムは、ダム建設以前からある農業用水(枝下用水)の取水口にもなっています。

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越戸ダムのダム湖が終わり、矢作川の流れが見えてくるとちょっとした集落があります。ここは広瀬という所で夏には鮎採りの簗場ができます。名鉄三河線が廃止になりましたが、今でも線路と駅舎が残っていてバスターミナルの役目を果たしています。駅前には宿屋もあって昔の情緒が残っています。

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ここからしばらく上流に行くと阿摺ダムとダムのすぐ下流に阿摺発電所があります。落差約15m、使用水量約40㎥/s、最大出力4800kWの発電所です。通常の発電所によくある水車はフランシス式という反動水車ですが、ここは落差が低いのでカプラン水車というプロペラ型の水車を使用しています。堂々とした堰堤で落差を稼ぐダム水路式発電所に分類されていますが、阿摺ダムは堰堤の高さが15m未満なので河川法ではダムの定義からはずれます。ダムの脇にあるカスケード状の水路は魚道です。低いダムや堰には鮎の遡上など生き物の行き来のために魚道が造られています。

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下流から3番目にあるのが、いよいよ百月発電所です。ここは上流の百月ダムと呼ばれる取水堰から、山の中に掘られた約3kmの導水トンネルで発電所の裏山の水槽に水を導き、河川勾配のために出来た落差で発電する水路式発電所です。落差は約25m、使用水量は約28㎥/s、最大出力は5700kWです。大正15年(1926年)に造られた発電所建屋は新しく建て替えられ、無人になって久しい社宅はすでに取り壊されていました。子どもの頃に祖父に連れてられて、「ちょっと覗かせてもらっていい?」と水が渦を巻く水槽も轟音を立てる横軸タービンが置かれた発電室も見せてもらった頃の面影はもうありませんでした。

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百月ダムの左岸下流にある建屋は矢作第二発電所のものです。上流にある矢作第二ダムから取水、約8kmの導水トンネルを通って発電所の裏山の水槽に導かれた水で、落差約90m、使用水量約40㎥/s、最大出力31600kWの発電を行います。発電所の放流口から白い渦が出ていないことから運転はしていないようです。これは矢作ダム開発と同時期の昭和45年(1970年)に完成した矢作川では新しい発電所です。普段は旧来の発電所に発電を任せて、出水時や電力需要期に発電をするものと思われます。

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百月ダムのすぐ上流の笹戸温泉の集落にあるのが昭和10年(1935年)に完成した笹戸発電所です。発電所裏の緩やかな斜面に巨大な水圧鉄管が敷設されているのが特徴です。古い発電所にはなぜか桜並木があったりします。落差は約43m、使用水量約26㎥/s、最大出力は9400kWです。発電所の約5km上流にかわいい取水堰のある水路式発電所です。

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ここで、お気づきになったと思います。川は上流から支流を集めて次第に流量を増していきます。また、おおよそ上流の山間地は急勾配で下流になるにつれて流れが緩やかになるので、傾向として(大きなダム調整池式の発電所でない限り)、上流に行くほど少水量、高落差になります。

河原のキャンプ場はどこもテントがたくさん立っていました。ちょうど春のいい時期の連休で、なおかつ今は人混みや盛り場は避けなければならないので野外のキャンプはうってつけです。

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次は時瀬発電所です。落差約49m、使用水量17㎥/s、最大出力約7200kW。大正12年(1923年)に完成した古い発電所ですが、矢作ダムの建設に伴って取水堰が廃止されたため、現在は矢作ダム直下にある矢作第一発電所の1号機の放流水を直接4kmのトンネルで発電所上部の水槽に導いて発電を行っています。

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時瀬発電所の少し上流にあるのが矢作第二ダムです。昭和45年(1970年)完成、堤高38m、堤長149m、総貯水量435万㎥、有効貯水量91万㎥の重力式コンクリートダムです。重力式ダムは、最もポピュラーなコンクリートダムで、ダムの背面にかかる水圧をダムの重量で支えるタイプのダムです。ここで取水した水は8km下流の矢作第二発電所まで導水されます。矢作第二ダムは、すぐ上流にある矢作ダムの放流を緩和する逆調整池の役割を持っています。

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矢作第二ダムのバックウォーターが終わるところにあるのが昭和45年(1970年)に完成した矢作川水系最大の矢作ダム。下流のダムが電力会社の発電用ダムとして建設されたのに対して、矢作ダムは、発電以外にや利水(上水、工業用水、灌漑)や治水の目的を持つ国土交通省が管理する多目的ダムです。堤高100m、堤長323m、堤体積30.5万㎥、総貯水量8000万㎥、有効貯水量6500万㎥のコンクリートアーチ式ダム。矢作ダム以前のアーチ式ダムは円弧式アーチだったのに対して、国内初の放物線アーチダムです。アーチ式ダムは、アーチの持つ力学的特性により水の力を両岸に伝える構造のため、コンクリートを薄く出来る特徴があります。ただし、両岸の岩盤が強固であることが条件となります。
矢作ダムの直下には昭和45年(1970年)完成の矢作第一発電所があります。落差は1号機が67m、2号機が77m、使用水量はそれぞれ17㎥/sと78㎥/sで、合わせて最大出力61200kWの(揚水式でない)一般水力としては矢作川水系最大のダム貯水池式発電所です。ここの運用は少し変わっていて、通常は1号機を運転し放流水を下流の時瀬発電所に送水して、必要なときに2号機も運転し放流水を直下の矢作第二ダムへ流す方式になっているようです。

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矢作ダムによって生まれた貯水池を奥矢作湖と呼びます。この湖岸にあるのが昭和55年(1980年)に運転を開始した奥矢作第一発電所です。地下に造られた地味な発電所ですが、最大出力は桁違いの78万kWです。これは、落差404mもの高落差、そして使用水量234㎥/sという洪水並みの水を一気に落とす揚水式発電所だからです。
揚水式発電所とは夜間に、発電機をモーターとして、ポンプ兼用水車を回して、下部ダムの水を上部ダムに汲み上げることによって、原子力発電所などで発電される余剰の深夜電力を水の位置エネルギーとして蓄える巨大な電池のようなものです。川の自然流によるものではないので電力を生み出すことはしません。夜間に汲み上げた水を短時間大量に下部ダムに落として、夏場の電力需要ピーク時に電気エネルギーに戻す装置です。
ここ奥矢作発電所では、矢作川支流の名倉川上流にある標高約860mの黒田ダム貯水池を上部ダムとし、標高約290mの矢作ダムを下部ダム貯水池として、その標高差約570mの間に、奥矢作第一発電所(最大出力32万kW)と奥矢作第二発電所(78万kW)を二段縦列接続することによって、合計110万kWの原発1基並みの出力を誇っています。

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山襞に沿って曲がりくねる奥矢作湖岸の道を進むと、やがてダム湖が終わり矢作川の流れが復活します。まもなく左岸の山の遙か上から2本の水圧鉄管が見えてきます。落差約176m、使用水量3.9㎥/s、最大出力5600kW、大正12年(1823年)完成の真弓発電所です。この発電所は支流の名倉川上流から水を引いていて落差が高いので、高落差用のペルトン式水車を使用しています。構造はおもちゃの水車と同様さじのようなバケットにノズルから水圧をかけた水を勢いよくぶち当てる衝動水車です。放流口が川の水面よりも高いところにあるのですぐにわかります。取水堰は稲武の市街地のすぐ下流にある水路式の発電所です。

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このすぐ先が、名倉川と矢作川の合流点、そしてすぐ先に根羽川(矢作川)と上村川の合流点があります。合流点から根羽川に少し入ったところには大正11年(1922年)完成の押山発電所があります。落差123m、使用水量3.6㎥/s、最大出力3600kWの水路式発電所です。水圧鉄管が2本見えますが、向かって右側の細い方は水槽の余水を放流するためのものだと思います。

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すぐ近くの上村川に沿ったところには、大正9年(1920年)完成の下村発電所があります。落差約84m、使用水量6.7㎥/s、最大出力4700kWの歴史のある水路式発電所です。2本の水圧鉄管が立派ですが建物は手前の土手に隠れてよく見えません。

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上村川本流には、これよりも上流に島発電所上村発電所平谷発電所があります。上村発電所は大正14年(1925年)に建設された矢作川で最も高落差(306m)の発電所です。最上流に建設された平谷発電所は平成8年(1996年)に完成した矢作川で最も新しい発電所です。平谷発電所の取水堰(ラバーダム)は、平谷村の市街地のすぐ下流の標高897m地点にあります。そこから、標高約40mの越戸発電所まで標高差約850mもの間にほとんど隙間無くダム(堰)と発電所が造られています。日本の水力発電に適した大きな川は、このように昭和の高度成長期までにほとんど開発し尽くされたと言っても過言ではありません。大正から昭和初期にかけては、愛知県内にも複数の電力会社が競い合いながら、次第に発電・送電網を広げていきましたが、戦時中は国策会社「日本発送電」に統合され、戦後の9電力体制になってから矢作川は中部電力のテリトリーとなりました。現在、矢作川の水力発電所は27ヶ所で計128万kWの最大出力を有しています。

 

このブログでは、これまでに川と発電所シリーズとして、木曽川河口から源流までの旅、信濃川・・・これぞ水力発電所、などを掲載しています。

 ・木曽川の渡し船体験記
 ・木曽川流域ひとり旅(水力発電所編)
 ・木曽川流域ひとり旅(ランプの宿編)
 ・木曽川流域ひとり旅(木曽川、飛騨川源流編)
 ・木曽川電源開発史

 ・これぞ水力発電所(信濃川)

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