古窯の発掘調査
知多半島一帯では、平安末期の昔から山の中に窯をつくり焼き物が生産されてきました。薪と粘土のあるところに窯を築き、その場で採れた粘土を焼く、灰による自然釉のみで釉薬なしの粗末な皿や茶碗を日用品として出荷する産業です。そんな窯の跡が放置され、いつの間にか表土に埋もれ遺跡としてこの一帯の丘陵地に眠っています。
なので、丘陵地で開発行為があると、しばしば古窯の遺跡が見つかります。2月中旬に民有地の造成に伴い開発事業者が発掘中の古窯跡を見てきました。発掘作業の主体は民間事業者ですが、文化財保護の観点から東浦町教育委員会が監督をしています。地中に埋もれた穴窯が見つかるまでは重機で掘削し、以後は手作業で丁寧に窯跡を掘り出します。もともと窯は粘土層に素掘りで造られ、陶器の生産を繰り返すことによりトンネルの内壁が焼き固められていきます。
その後、たいていの窯は朽ちて崩壊してしまいますが、窯の中にいつの間にか土砂が積もれば、当時の形を保ったままで発掘することができます。ここでは狭い傾斜地に5基もの窯が集中して出土しました。下の写真のメガネ状の空間の手前が窯の焚口で、その背後に斜面に沿って斜めに窯が掘られていました。窯の中には器を並べるため粘土で作られた斜めの置き台が設置されていて、この数を数えると一度に生産できる器の数がわかります。窯の中には当時の皿や茶碗のかけらがそのまま残っていたりします。役割を終えて打ち捨てられた、いわば当時の産業廃棄物が、時を経て文化財として姿を現しました。
ここは開発行為のために発掘調査が行われた場所なので、調査が終わり記録を残せば、遺跡は削られて造成地に変わります。本当は天白遺跡の発掘の時のように多くのみなさんに発掘の様子を見ていただけると良いのですが、ここは民有地内の開発事業なので残念ながら写真のみでのお伝えとなりました。
一旦発掘された遺跡はそのままの状態では保存できないので、土中から掘り出された直後でないとなかなか実物を見ることはできません。本当の意味で保存しようとすれば、掘り出さずにそのまま地中にそっと置いておくほかありません。遠い過去からの贈り物を直に見て触れて感じることは、簡単なことではないとつくづく感じます。
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