片田敏孝さんの講演を聴きました。
愛知県町村会の町村長セミナーで、東京大学大学院情報学環 特任教授、日本災害情報学会 会長の片田敏孝先生の講演を聴きました。
片田先生は1960年に岐阜県中津川市の生まれ、豊橋技術科学大学大学院で博士課程を修了。論文のテーマは東三河の山間部の人口減少問題だったそうです。岐阜大学助手などを経て、2005年に群馬大学工学部教授に就任。2011年の東日本大震災では「釜石の奇跡」が一躍話題になりました。
片田先生の現地現物のフィールドワークに裏打ちされた説得力のある語り口が印象的でした。以下、自分なりに印象に残った部分です。
お話しのメインは、「行政ががんばっても防災はできない」こと。例えば、熱海の土石流。3日間にわたって3波の降雨があった。それぞれのピークは時間雨量15mm~27mm程度。これでは避難指示を出せない。熊本の豪雨では時間雨量70mm降ったが、線状降水帯の発生は予測できない。結局、災害で助かるには、このときその場所にいないこと。そういう自分であることができるかが生死を分ける。
令和3年5月から避難情報に関するガイドラインが改定され、警戒レベル4に混在していた“避難指示”と“避難勧告”を、“避難指示(必ず避難)”とした。避難情報において行政ができるのは、避難指示を出すか出さないかの1点だ。警戒レベル5の“緊急安全確保”は「住民自身が主体的に判断しろ!」の意味だ。行政はもうお手上げということだ。
コロナ禍においても、①自分は自分で守る、②自分の安全は周りの安全、③専門家にも行政にも完全に頼れない のは同じ。自分がどう対応するかが問題になる。
毎年のように、大雨の記録が更新されている。台風は大型化し、高緯度で発生するようになった。迷走して長く留まる台風が増えた。防災に主客はない。行政が主役で、住民はお客様は、大きな間違えだ。
災害が来るたびに、防災の改善と対策が叫ばれるが、果たして、改善・対策の先にゼロリスク・災害克服はあるのだろうか?
みんな気づいていたことだが、ようやく国は大きな転換を表明した。防災の主体は住民。防災は行政サービスから行政サポートなった。但し、行政にしかできないこと、行政がやるべきことは、行政が責任を持って遂行しなければならない。例えば、本当に配慮の必要な要配慮者は何人いるか? 西日本豪雨のあとで倉敷市(人口約48万人)が本当に配慮が必要な人に絞って調査したら、2000人程度となった。この人たちを民生委員が救うことはできない。ここは行政が責任を持つしかない。
最後に「人は人として逃げられない」と言うことをお伝えしたい。
人は情報があっても、周知されていても、合理的に行動できない。例えば、親は、子どもがもう避難していると思いながらも、津波が迫る中を危険を承知で探そうとしてしまう。
東日本大震災の8年前に研究のフィールドとして釜石に入ったが、最初は「世界一の防波堤があるから」とみんな避難する意識がなかった。防災講演会に来ない人とのチャネルをどうやってつくるか。そもそも、防災講演会に来る人は住民の中でも意識の高い人たちだ。その講演会に来る人でさえ「あんたは海のない岐阜県の生まれだろ?」とまともに取り合ってくれない。そんな爺ちゃんたちに「爺ちゃんが逃げないと家族は逃げない。爺ちゃんの背中が孫を殺すんだぞ。」と言った瞬間に、正常性バイアスが慎重性バイアスに変わった。子どもたちにも、「君たちも自分でちゃんと避難できるようになろう。子どもが逃げれば、大人も自分の命を大切にする。」と訴えた。互いに涙が出るまで内なるものに訴えないと、自分事にはならない。
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