水野の家系の老中と言えば、天保の改革の水野忠邦(1794年~1851年、唐津水野家の出身)が有名ですが、その少し前に老中首座を勤めたのが、旗本の岡野家から旗本の浜町水野家の養子に入り、後に沼津水野家の養子となった水野忠成(ただあきら、1763年~1834年)です。忠成は11代将軍徳川家斉に重用され長く老中を務めました。任期中に貨幣の改鋳を進め物価高騰を招いたとも、田沼意次時代以上に賄賂が横行したともいわれ、「水の出てもとの田沼になりにける」と風刺されたと伝えられています。
文化協会の会報の中に水野忠成についての記述がありましたので紹介します。
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