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2022/10/20

遺族代表の誓い・・・戦没者追悼式にて

文化センターにて、各地区の代表者に出席をいただき、戦没者追悼式を行いました。
遺族・遺児代表の稲垣寛治さんから心のこもった追悼の言葉がありました。稲垣さんは、毎年、ご自身の言葉で書かれた追悼の辞を読まれています。以下にご紹介します。
 

追悼のことば

 本日ここに東浦町主催による戦没者追悼式が厳粛に執り行われ、各界からも代表の方々のご臨席を頂き誠にありがとうございます。遺族・遺児を代表し厚く御礼申し上げます。
 また、コロナ禍の中、各地区から戦没者のご家族並びに遺児の皆様と集う事も出来ました。僭越ではございますが、遺族・遺児を代表して謹んで哀悼のことばを申し上げます。
 顧みますれば先の大戦が終わりを告げてから七十七年の歳月が過ぎ去りました。あの大戦で、三百三十万人、いやそれ以上とも言われた多くの方々の犠牲にある事を私達は決して忘れていません。
 国や家族の事を思い戦地に赴き南方の現地では食糧と武器不足、灼熱の下、その苦しみは想像を絶するものがあります。また、遠い異国の地で、氷点下三十度以上の酷寒と厳しい労働、さらに飢えにさらされ、命を絶えた人々、これが戦争であり、敗戦の苦しみでありました。私達は決して忘れる事はありません。
 私達遺児は、直接戦場に行くことはありませんでしたが、国内では子供や女性が筆舌に表し難い日々を過ごしていました。私自身、家族の食糧不足を補う為に、東海道線の横を流れる小川で小魚を捕っていました。突然に空襲警報が鳴り、周囲を見渡すと刈谷方面から旅客列車が、そして大府吉田方面から艦載機が二機列車目がけての機銃掃射です。バリバリ、バリバリと、私の身辺にも線路に敷かれた栗石や砂塵がものすごい勢いで飛び散って来ました。生きた心地はしませんでした。米機の機体には一面に女性の笑顔が絵描かれていました。米機はカーチスだったかグラマンだったか覚えていません。子供ごころに違和感を覚えました。米軍がもう近くに居ることを知らされました。
 戦争は何時もどの国でも泣くのは子どもと女性です。私達は生かされている限り叫び続けます。戦争絶対反対です。重ねて申し上げますが、今日の日本の平和と繁栄は多くの犠牲の上に築かれています。
 また、今この時でもウクライナでは弾頭が飛び交い、犠牲者と破壊が続いています。一日も早い平和が訪れる事を願って止みません。
 本日、東浦町戦没者追悼式に戦没者の御霊に心から哀悼の誠をささげるとともに、思いを同じくする人と共に微力ながら力を尽くすことを誓い、追悼のことばといたします。

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