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土曜日はあぐいの美塾にゲストスピーカーとして参加。この日の主役は、真鶴町で美の基準を運用しまちに浸透させてきた役場職員(現在は福祉部長)の卜部直也さん。住民や事業者と相手の立場に立ってとことん話し合い、しまいに相手がその気になって建設的な提案を出してくると言う、コミュニケーションの姿勢が徹底している。まさに地域に相談の現場に飛び出す職員だ。
私は真鶴町より20年遅れて愛知県の町村で初めての景観条例を制定した東浦町について、なぜ景観の取り組みが必要なのか、そして、意識の醸成と景観を育てる仕組み作りの両方が必要なこと、数値で縛るだけでなくその町らしさの抽象概念を磨くこと、最後に今自分の活動として景観に取り組んでいることをお話しした。
懇親会で多くの方と会話をすることができて有意義な時間だった。
仙台市内で唯一の国宝の建物、大崎八幡宮の社殿。後に権現造りと呼ばれる色鮮やかな彩色や彫刻を施した安土桃山期の建築です。伊達政宗の霊屋、瑞鳳殿も戦前は国宝でしたが戦災で焼失しています。
こちらは、日本の水力発電発祥の地と言われる三居沢発電所。明治21年にこの地にあった紡績工場の水車に発電機を取り付けて電灯を灯したのが始まりで、現在の設備は明治43年に建設されて今でも現役です。
発電所のすぐ脇には不動尊があって滝が落ちています。この沢は青葉山のキャンパスあたりから流れ出ているようです。
市街地のすぐ隣に自然がいっぱいあるのも仙台の魅力です。
今回、学生時代のサークルの50周年記念パーティーに出席したついでに、仙台から栗駒や蔵王を回ってきました。1・2年の時しか参加していなかったサークルですが、卒業から40年も経って現役学生から丁寧な案内が届いたので、少し時間もあるし出席してみようかと行ってきました。
出てみると同学年や一年下の学年の人たちもいて互いに覚えていたりするものです。久しぶりに今昔を語って楽しい機会となりました。
帰りがけに東北大学の片平キャンパスを歩いてきました。公孫樹食堂は取り壊され、北門食堂はモダンな建物に建て替え、北門の壁は撤去されていましたが、古い建物と新しく建て替えられた建物、新旧入り交じって落ち着いた佇まいを保ちながら、市民に開放された都心の公園的な空間になっています。
→ http://campus.bureau.tohoku.ac.jp/campusguide/kat_his/kat_history.html
前を何度か通ったことはあるけれど、仙台に近いだけに泊まったことのなかった青根温泉の老舗旅館。歴代伊達藩主の御殿湯だったところで、多くの文人墨客も滞在しています。
この建物を維持していくのは大変なことだと思います。400年前の湯船を残して建物を建て替えた大湯や土蔵を改修して風呂にした蔵湯は真新しいです。殿様のために建てられたという桃山様式の御殿(現在の建物は昭和7年築)は、現在客室としては使用していませんが見学することができます。
やっと空が晴れました。今度は蔵王の紅葉でリベンジ。麓はまだまだだけど、山頂付近はちょうど紅葉が見頃になりつつありました。風が強くて結構寒いです。
天童の肉そば。歯ごたえのある鶏肉の入った甘辛味の冷たい蕎麦です。山形では蕎麦にはゲソ天が定番。
そばとラーメンの味比べもありました。
天童では、わらび餅が絶品と人気の和菓子の店にも行きました。
こちらは明治12年に建てられた東村山郡役所の建物。今は「天童織田の里歴史館」と呼ばれています。
なんと、織田信長の次男の織田信雄が秀吉の転封を拒んで改易になってから徳川時代に再興し、子孫が天童藩主として幕末を迎えています。石高2万石程の東北の小藩は維新の際に官軍と奥羽越列藩同盟の板挟みに遭います。全国シェア9割を占める将棋駒の生産は、生活困窮にあえぐ藩士の内職に奨励されたのが興りと言われています。
織田信長サミットなんてあるのですね。
→ https://www.city.tendo.yamagata.jp/municipal/syokai/tendoodahan.html
栗駒に行ったけど、紅葉にはまだ少し早かったようです。おまけにあいにくの雨模様で降ったり止んだり。栗駒山頂は諦めて、須川温泉の近くを散策しました。
須川高原温泉は標高1100m、岩手県と秋田県の境の奥羽山脈の稜線にあります。宿の裏手からpH2の酸性泉が毎分6000ℓ湧き出して川になっています。これを引き込んで掛け流しどころか源泉垂れ流しの内湯や大露天風呂があります。以前は宿の中庭に温泉プールもあったのですが、残念ながら岩手・宮城内陸地震で壊れてしまいました。
栗駒一帯は地熱地帯で、近くには峡谷の底で熱水の吹き出す小安峡があります。
さらには、日本最大級の温泉の滝がある川原毛地獄など、地熱パワーが漲っています。
今回は行きませんでしたが、少し山道を歩くと川原毛大湯滝があって、ダイナミックな温泉を体感することができます。
下記は以前家族旅行で行ったときの記事です。
→ http://kamiya-a.cocolog-nifty.com/turezure/2005/08/post_2984.html
さすが地熱地帯。山腹には地熱発電所のパイプラインも走っています。
栗駒山を秋田県側に下ったところに稲庭という集落があります。ここのツルツルのうどんが大好物なのです。
二軒はしごして、冷たいうどんと温かいかけうどん、乾麺と生麺(×タレ3種)の味比べをしました。メニューにちゃんと味比べがあるのです。温かいうどんは冷たいうどんを食べ終わってから出してくれました。
名取の閖上朝市。
朝8時にもう人でいっぱい。
ホタテやカキを焼いている人もいます。自分は水餃子で朝ごはん。
閖上の後、登米市(とめし)へ。平成の大合併の前まで登米郡登米町(とめぐんとよままち)だったところで、県立高校は「とめこうこう」、中学校は「とよまちゅうがっこう」です。
江戸時代は登米伊達家の城下町として米作りと北上川の水運で栄えてきました。明治の初めに水沢県の県庁が置かれたこともありました。市内のあちこちに国指定重要文化財の旧登米高等尋常小学校校舎をはじめ、旧県庁や旧警察署、商家や武家屋敷跡などが現存し、みやぎの明治村と呼ばれています。
中央のバルコニーが素敵な旧高等尋常小学校は、明治21年の建築で、昭和48年まで小学校として使われていました。
受付の方の名字が羽生さんだったので、「宮城県に羽生さんは多いんですか?」と尋ねたら、登米市中田町に多くて、弓弦さんの父方の実家も中田町なのだそうです。
昔ながらの窓ガラス越しに今の小学校が見えます。
武家屋敷の中にカフェがあります。古い建築以外にも、武家屋敷の一角には隈研吾氏設計の懐古館があります。
街外れには、大きな枝垂れ桜をバックに能舞台のある伝統芸能伝承館「森舞台」があります。これも隈研吾作品。1997年に日本建築学会賞をとっています。
こちらは、明治5年に建てられ、水沢県庁舎として使われた建物で、その後、小学校、裁判所として使われました。
昭和43年まで使われていた旧警察署の建物。こちらも物見台のバルコニーがあります。昔は消防も警察の業務だったので敷地内には火の見櫓があります。旧高等尋常小学校と同じく宮城県技手だった山添喜三郎が設計監督しました。
登米のお昼は、油麩丼 と はっと汁 をいただきました。
アイスクリームのカップがなくなったときに、たまたま隣にワッフル屋さんがあったから。
1904年にアメリカのセントルイスで開かれた万博での一幕です。
万博会場で暑い日に、たまたまアイスクリームとワッフルを隣り合わせで売っていました。アイスクリームはどんどん売れますが、ワッフルは売れません。当時アイスクリームは器こと客に渡してあとで器を返してもらう売り方をしていましたが、なにぶんの混雑、渡した器が返ってきません。足らなくなって困った挙げ句に思いついたのが、「そうだワッフルでくるんで売ろう!」だったとか。ということで、アイスクリームもワッフルも商売繁盛、めでたしめでたしとなったのです。
このブレークスルーをきっかけに、アイスクリームをコーンの上に乗せて売るスタイルが急速に普及することになりました。
これ、チコちゃんに叱られるでやってました。
アイスクリーム×コーンは、T型フォードやエジソンの飛行機などと並んで20世紀の偉大な発明を記念する米国の切手シリーズに収められているそうです。
→ https://www.lotte.co.jp/entertainment/shallwelotte/story/stamp/ice/
それにしても、いきなり涼しくなって長袖が必要になりましたね。
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