那須・甲子探訪
< 秘湯 北温泉へ >
7月の初旬に那須の北温泉に行ってきました。那須平成の森の観瀑台の駐車場に車を駐めて、急坂を谷底に下りていったところにある秘湯です。
北温泉と言えば映画「テルマエ・ロマエ」のロケ地になった所。江戸期(安政)と明治と昭和の建物が入り組んで建っています。手前の池のようなのは建物奥の斜面から湧出する温泉が流れ込む温水プールです。
今は素泊まりのみの受け入れ。古くてちょっとおどろおどろしい、平たい顔族のおじいさん達が似合う湯治宿です。
< 那須湯元から茶臼岳山頂へ >
時折雨がぱらつく中、那須湯元の鹿の湯へ。酸性の硫黄泉は入った気がするなあ。
天気が快方に向かったようなので、梅雨の晴れ間を狙って那須岳ロープウェイで九合目まで。そこから茶臼岳(1915m)山頂まで標高差250m、1時間くらいの散歩。火口の周りを回って降りてきました。
山頂に着きました。
<甲子温泉>
那須連山の北端、東北地方第二の大河、阿武隈川の源流沿いにあるのが甲子温泉。栃木県那須町の隣ですが、ここまでくると福島県白河郡西郷村、もうみちのくです。阿武隈川はここから福島県の中通り地方を縦断し、宮城県で太平洋に注ぎます。
ここを通って新潟市といわき市を結ぶ国道289号は、今でも八十里越峠が不通区間になっていますが、ここ甲子峠の区間も甲子温泉で車道が消える幻の国道でした。
2008年に長さ4.3kmの甲子トンネルが開通し、白河と会津下郷が新しい道路で結ばれました。これに伴い旧街道沿いにあった甲子温泉の門をくぐっていた旧国道路線が廃止され、谷を跨ぐ橋梁とトンネルに付け替えられました。新道開通を契機に冬季は休館していた甲子温泉は、宿を建て替え通年営業となりました。
旧道が登山道に変わるところには源泉があって、甲子温泉の内湯と数キロ下流の新甲子温泉に引湯されています。
特筆すべきは、宿の対岸の岩盤に湧く無色透明の清冽な湯。大きな岩盤をコンクリートの湯船で囲った水深1.2mのプールのような大浴槽の側面から湧きたての湯が注がれていて、かつ湯船の底の岩盤の割れ目からのぬる湯も加わって、底まで見える澄み切った大量の湯が浴槽から溢れ出ているのは、入っていて実に気持ちが良いものです。
1384年(至徳元年甲子(きのえね)に修行僧が発見したことから甲子(かし)温泉と名付けられたと云います。寛政の改革で知られる白河藩主松平定信公の別邸であった建物が敷地内にあります。2008年に付け替えられる以前の国道路線は、旧街道沿いにあったこの別邸脇の門をくぐっていました。
さらにその先では狭い登山道に路線番号標識が立っていて一種の名所となっていたそうです。
< 大谷石の採掘場 >
那須の帰りに宇都宮市郊外の大谷石の採掘場に寄ってきました。
300mもの厚みのあるという凝灰岩の地層をくりぬいてできた地下の大空間を見てみたいと以前から思っていました。
付近には今でも多くの採掘場がありますが、大谷資料館は常時見学できるミュージアムになっています。ここでは、コンサートや美術展、結婚式、そして映画やドラマの撮影なども行われています。洞内は夏でも12℃ほどです。
洞内は夏でも12℃、冬は1℃??
でも、これ! 不思議なんです。
夏に一年の平均気温くらいとしたら、冬が寒すぎませんか?
一年を通して12℃くらいならまだ納得できるけど、冬場は外気温よりも低いんじゃないか。
→ 宇都宮の月平均気温(気象庁)を参照
周辺では大谷石で造られた石材屋の建物や蔵も多く見られます。
大谷石には、独特の風合い、耐火性、吸音性、軽さ、加工のしやすさなどの特徴があります。大正時代に建築家フランク・ロイド・ライトが、旧帝国ホテルの素材として使用したことは有名です。明治村にはその一部が保存されています。
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