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文化・芸術

2026/04/24

タケノコ掘りと小栗家の茶会

毎年恒例、生路小学校のタケノコ掘り。いつものPTAの皆さんとボランティアメンバーで無事終了。今年は筍が豊作、親子で300人近くの参加がありましたが、みんなたっぷり採れたようです。

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午後から、半田運河エリアに建つ国指定重要文化財小栗家住宅へ。小栗家は、江戸時代に始まり、”萬三商店“として初期は主に酒づくりを、明治期以降は肥料商と海運で発展を遂げ、その後は味噌 ・ 醤油の醸造を手掛けていたそうです。邸内ではちょうどこの時期、樹齢160年のモッコウバラが咲きます。
恥ずかしながら私は何の嗜みもありませんが、招僊亭の名を持つ明治3年築の邸宅で開かれた茶会に参加させていただきました。客の書いた色紙が酒井抱一の掛軸に映し出される趣向はおもしろかったです。一服の非日常体験でした。

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2026/04/23

昭和区界隈を散歩

4月18日の午後からは、濃尾平野を歩く会
「壇渓から八事の高低差を歩いて登録有形文化財の住宅を訪ねる」見学会に参加。おひさまをいっぱい浴びた一日でした。

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2026/03/14

景観コンテスト写真の部で最優秀賞をいただきました

今年度も東浦町景観コンテストに応募。今回わたしが応募したのは①~③の3つです。

みなさん先入観があるのか?以前から応募作品のモチーフが於大公園や於大のみちに偏りがちと感じていました。
でも、はたしてそれだけなのか。公園など、意図を持って人工的につくられたものは写真写りは良いかもしれないけれど、そればかりがその土地固有の景観とは言いきれないし、さらに風土となるにはかなりの時間を要します。
そう考えて、自分としては、新たな視点・発見、つくり育てる景観、人と共にある景観にトライしてみたつもりです。

① 役場方面から見た御嶽と緒川城

②(石浜工業団地前)豆搗川沿いの桜並木

③ 東浦駅前の広場にて

結局、応募した中で、①が受賞作品に選ばれました。
秋から春先にかけて晴れた日には御嶽がクッキリと見えます。その見え方が古来からの酒造りのタイミングにも関わっていると、表彰式の講評の中にもありました。

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イオンモール東浦のイオンホールで行われた表彰式で日高町長から賞状をいただきました。

 

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① 役場方面から見た御嶽と緒川城

冬になると晴れた日には御嶽山がくっきり見えます。
雪を抱いた峰は美しく荘厳です。
手前の土塁は緒川城趾。
こうした遠景も東浦の特徴ある景観だと思います

 

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② (石浜工業団地前)豆搗川沿いの桜並木

これはもともとあった景観ではありません。
県企業庁が石浜工業団地を造成するにあたって、
豆搗川の河道を移し遊歩道と桜並木を整備しました。
しかし、その後の管理がなされずに葛に埋もれていたところを、
雑草、雑木を取り除いて桜並木を再生したものです。

桜並木の草刈を始めて3年目、桜の花がちらほら咲くようになりました。
人の手でつくられた景観、それを手入れすることによって育てていく景観の一例です。

 

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③ 2025年秋、東浦駅前の広場にて

駅前の広場を利用してにぎわいづくりイベントを開催。
1日目はゆうゆうクラブの合唱団によるオープニング、
2日目はチンドン屋さんも登場、夜は呑み処に。

ピンクの提灯もぶら下がっていて「降りる駅間違えた!?」と言うくらい駅前大変身でした。
駅前ロータリーが広くオープンスペースになった効果も大きかったと思います。

 

2026/02/15

行ってみたかった、冬の秋田、横手のかまくら

旅に出ました。秋田県に向かいます。

スタートは名古屋駅のホームから。さあ、朝きし食って旅に出よう!

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横手に行くには盛岡から秋田新幹線で大曲経由で行くのが早いのですが、こまちが満席だったし、若干遠回りなので、北上から北上線で横手に向かうことにしました。

豪雪地帯を走る奥羽山脈越えのローカル線なのでちゃんと動いているか気になりましたが、定刻通りの旅でした。

二両編成ワンマンのディーゼル車両で、無人駅では一番前のドアの開扉ボタンを押さないと降りられないので要注意。この週末は横手の雪まつりや湯沢の犬っこまつりがあるためか列車は満席、大きなバッグを持った外国人もちらほら。

北上線は今年、開通100周年を迎えるのだそうです。

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重厚な佇まいに、門から入るのを一瞬躊躇しそうな立派な造り。秋田県大仙市にある強首温泉樅峰苑。敷地の裏手には雄物川が滔々と流れています。
ここは、江戸時代から代々肝煎(庄屋)を務める地元の名家。近代になって、村長や県会議員や国会議員も輩出しています。その小山田家が大正時代に贅を尽くして建てた邸宅。昭和39年に近くで温泉が出たのをきっかけに旅館を始めたのだそうです。

玄関脇の廊下には長さ16mの継ぎ目なしの杉材が惜しみなく使われています。大正ロマンを感じる階段を上がったところの2階廊下の床板の幅が半端ではありません。広間の真ん中の柱には仕掛けがあって、鴨居を引き上げて柱を抜くと四間続きの大広間になるのだそうです。

温泉は、鉄分と塩分が入った濃い目のお湯です。内湯の他に、最近の嗜好に合わせて庭先に露天風呂をしつらえてあります。庭の木立の中にある樹齢400年近いと言われる樅の巨木を見上げてゆっくり雪見風呂です。

料理は地元の食材がふんだんに出てきます。いぶりがっこやトンブリはもちろん、近くで採れた川蟹のミソやツミレ、など秋田ならではの食べ物と地酒がおいしいです。

これで秘湯を守る会のスタンプが9個になりました。10個集めるとどれか1泊ご招待になります。

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奥羽本線の峰吉川駅、無人駅なのですが、大仙市が受託する簡易委託駅なので、待合室にはストーブが焚かれていて、地元のおじさんが切符を売ってくれます。

ホームに立っていると、こまちが通過していきます。線路が2線あるので上下線かと思ったら、手前が在来線の線路で狭軌。奥は新幹線の線路で標準軌。この区間は、新幹線と在来線、二つの単線が並走しています。
ここから東、大曲駅までは標準軌の複線、うち1線はレールが3本で新幹線と在来線の併用になっているようです。

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奥羽本線を大曲から横手に向かう途中、「後三年」という駅があります。
後三年?前九年?なにか歴史で聞いたような・・・。
そう、この駅名は、「後三年の役」に因んで大正10年の開業時に付けられたのだそうです。

後三年の役とは、平安時代の末期(1083~1087年)に、陸奥の国司だった源(八幡太郎)義家が、奥羽を支配する豪族清原氏の内紛に介入し、藤原経清の血を受け継いだ清原清衡を味方に付けて、清原氏を滅ぼした戦い。
このころ朝廷の国司による地方の支配が機能しなくなりつつあり、時代が律令制から封建制へ、摂関政治から院政、そして武家社会へと移っていく転換期にありました。

この戦いに勝利した清原清衡は、やがて平泉に移り奥州藤原氏となります。そしてこの戦いの恩賞をめぐって、源義家が東国の武士たちの信頼を得て、源氏が武家の棟梁となっていくきっかけとなりました。その戦いがこの近くで繰り広げられました。

どこかで聞いた「後三年の役」でしたが、たまたま駅を通りかかったおかげで歴史に触れることとなりました。鉄道旅にはこういう楽しみもあるのですね。

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奥羽本線の十文字駅からバスorタクシーで10分ほどのところに横手市増田町(旧平鹿郡増田町)があります。

ここは今の岩手県や宮城県に通じる街道が交わる場所で、江戸時代から明治・大正期にかけて物資の集散地として繁栄しました。今でも街道沿いに古い商家の建物が残っていて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

特徴的なのは、「内蔵」といって背の高い建屋の中に豪華な蔵が収まっていること。この蔵は単に倉庫としてだけでなく、家族が暮らしたり晴れの行事を行う場だったりしました。中に酒造所のタンクが並ぶ内蔵もあります。通常、内蔵は商家の奥手にありますが、店の前面が2階建ての蔵で玄関を入ると蔵の中という所もあります。
積雪期の採光確保のためか二階分吹き抜けの建屋になっていて、その中に現在の生活空間として台所や居間をしつらえている所も多いです。

現存している町並みと豪壮な建物群は見応え十分でした。

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ここに来るまで知りませんでしたが、「十文字ラーメン」というのがあるそうです。
十文字駅近くの元祖十文字中華そば店に行ってみました。店の外には大阪や三重のナンバーの車が止まっていて順番待ちの列ができています。ならぶのは嫌いですが、ここまで歩いてきてしまったし、電車が来るまで時間があるし、食券を買って順番を待ちました。
さっぱりした淡い色の醤油味に細めの縮れ麺。食べ終わってもスープは澄んでいます。

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横手のかまくら初体験。かまくらを作ってみたい。中に入ってみたい。子どものころ憧れませんでしたか?

かまくらの中では、子どもたちが焼いた餅や甘酒を振る舞ってくれます。

かまくらの歴史については→ https://www.city.yokote.lg.jp/kanko/1004035/1004590.html#

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2026/01/22

ことしも「このはな彩」開催中

於大公園では冬の風物詩「このはな彩」を開催中。
このはな館の窓にセロハンフィルムをステンドグラスのように貼り付けて、透過する彩光を建物の内外から楽しみます。町職員のアイディアから始まって、毎年恒例の行事になりました。
そして時を経るほどに知られるようになって、昼も夜間も撮影する人が絶えなくなりました。
夜間のライトアップは金土日、1月末までです。

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2026/01/18

第21回 東浦かるたを楽しむ会

きょうは勤労福祉会館で東浦かるた大会を開催しました。もともと有志で始めた大会で自分も初期メンバーの一人でした。しばらくお手伝いをしていなかったのですが、運営スタッフに復帰しました。
以前のメンバーにスクールパートナー(学生ボランティア)も加わってスムーズに進行しました。

宣伝が控えめだった割には小学校中学年の参加が多かったです。もう21回目の開催で、第1回開催当時の小学生は30代になっているんですね。あの頃は学校の協力もあって多くの参加がありました。自分たちの子どもの世代も「東浦かるた」に親しんでいて、今でも町内で「かるたに詠まれていたのはここだったんだ!」と気づくことがあるそうです。当時小学生からも町内のトピックスや挿絵を集めてつくったかるた、今更ながらに良く出来ていると感心します。

今日はお母さんたちも空いた場所で一緒にカルタ取りをされていました。来年は「保護者の部」もつくってみてはと思いました。

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2025/12/30

「淵叢」と書いてみました。

年明けに開催される新春文化展の出品作品を、先生の手ほどきを受けながら書きました。例によって、自分の知らない書いたことのない二字熟語シリーズ。
今回は「淵叢(えんそう)」です。「淵(ふち)」は魚が、「叢(くさむら)」は鳥獣が集まることから、”物事の多く寄り集まるところ。活動の中心地。”の意味があります。

今年は、10月に駅前や工場跡地でにぎわいづくりのイベントを開催することができました。それに少しこじつけました。
来年も、自分も楽しみながら、何か地域に貢献できると良いと思っています。

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2025/12/14

うだつと美濃和紙のまち

11月末に中学の同級生仲間と「うだつ」の上がる町並みのある美濃市に行ってきました。江戸~明治期の商家が軒を連ねています。
美濃は和紙の産地としても知られています。

うちの障子紙は30年ほど前に張り替えたきりで、時代劇に出てくる荒れ寺状態。もう子どもが破ることもないので、大判の障子紙を買って張り替えることにしました。

やってみると、古い紙を剥がし濡らして糊を拭き取り乾かして、それから桟に糊を塗り紙を貼って縁をカットして、乾いてから霧を吹いて仕上げ・・・と結構面倒くさい。時間を掛けて一箇所ずつぼちぼち張り替えをしているところです。

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「うだつ」は、漢字で「梲」「卯建」「宇立」などと書くそうです。
隣家との間に設けた防火壁ですが、お金が掛かることから富の象徴とされました。
パッとしないことを「うだつが上がらない」と言いますよね。その「うだつ」です。
多くは家と家の間に一重の防火壁ですが、中にはダブルうだつもあります。

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和紙の原料問屋の倉庫を改装した紙屋、町家を改装したカフェや宿泊施設もあったりします。

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毎年10月に和紙を使った「あかりアート展」が開催され、その年の応募作品が通りに並びます。
それ以降11月末まで夜になるとケースに入れられた歴代優秀作品が展示されます。
https://minokanko.com/akariart/

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意外と上手く張れたなあと自画自賛。
あと少し残っています。もうひと頑張りです。

 

2025/11/24

秋の風景を写真展に出展

東浦町文化協会写真部の写真展に出展。11月22日~24日の三連休のあいだ文化センターで展示していました。
霜月五選・・・里に近い所、奥山、自然、人の為せる景色・・・深まりゆく秋の風景を寄せてみました。

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11月の初旬、新穂高から前日に積雪のあった笠ヶ岳を見上げました。
空と雪と岩と麓の木々とのコントラストが季節の変わり目を感じさせます。

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西穂丸山付近まで登って、稜線から見た笠ヶ岳です。
稜線はもう冬山。麓では紅葉が終盤を迎えつつあります。

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東福寺の臥雲橋から眺めた通天橋です。陽光が入ると紅葉が輝きます。

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大井川に架かる蓬莱橋を渡りきって、対岸の岩の上から振り返りました。
渡る人と自転車が、なんとなく橋に親しみとスケール感を与えています。
出水で引っかかった流木が絶えず変化する自然のダイナミックさを感じさせます。

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大井川下流では紅葉はまだこれからですが、
上流部の畑薙第一ダムあたり(標高1000mくらい)まで行くと紅葉は真っ盛り。
大自然の中にある巨大でかつ端正なフォルムの人工物を撮ってみました。

金曜の夕方、展示の準備をしているところです。

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11月23日(日)は芸能祭もあったので、多くの方がいらっしゃいました。

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2025/11/23

古都の秋の庭めぐり

京都に詳しい友人の案内で東福寺とその塔頭の庭巡り。場所によって異なりますが、紅葉の色づきはまだこれからのところが多いようです。先週のことです。

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東福寺塔頭 光明院の枯山水「波心庭」、建物の二階からも望むことができます。
東福寺本坊(方丈)庭園と同じく昭和14年(1939年)に重森三令が作庭した近代の庭です。
背後の斜面にツツジが大胆に植えられています。もみじの色付きはまだまだこれからのようです。

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東福寺本坊の裏手を通り、偃月橋を渡った所にある塔頭の龍吟庵は、現存する日本最古の方丈建築と言われています。
ここの南・西・東の三つの枯山水も重森三令の作です。昭和39年(1964年)につくられました。
方丈正面の南庭「無の庭」は何もない簡素な白砂敷き。写真は、鞍馬の赤砂を敷き詰めた東庭「不離の庭」。
ここに庵を結んだ大明国師が幼いころ狼に襲われそうになったところを二頭の犬が守った
という故事に因んで石が配置されているそうです。

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東福寺本坊(方丈)庭園の南庭。
東福寺本坊は庭園とともに明治14年に焼失、建物は明治23年(1890年)に再建されます。
方丈を取り巻く東西南北、それぞれ趣の異なる四周の庭は昭和14年(1939年)に重森三令によって完成されました。
方丈(本坊)の西庭はサツキの市松、北庭は敷石と苔の市松模様です。敷石は方丈の古材を再利用したものです。
市松の採用は、重森三令が東福寺普門院(開山堂)の市松砂紋からヒントを得たのではと言われています。

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本坊から通天橋を渡ったところにある普門院(開山堂)です。
紅葉の時期にサツキの濃い緑が印象的でした。通路より向かって左側に市松の砂紋があります。

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普門院(開山堂)の市松の砂紋は、すごくシンプルだけど、
眺めていると引き込まれてしまいそうな”深み”を感じます。

 

東福寺と言えば通天橋、東福寺の本堂と開山堂を結ぶ橋楼です。京都の紅葉はこれから真っ盛りですが、ここの紅葉は一足早いです。
ほかにも臥雲橋、偃月橋の二橋がもみじの谷を跨いでいます。

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相国寺から、昭和の庭園家 重森三令が吉田神社の宮司家の邸宅を譲り受け、自宅の庭として作庭をした旧重森邸を訪ね、吉田山を越えて真如堂、金戒光明寺まで、そぞろ歩きしました。

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京都五山の一つ相国寺(萬年山相國承天禅寺)の開山堂庭園。
シンプルな庭にもみじの赤が映えます。堂内には開山夢窓国師の木像が安置されています。
相国寺では、現存する日本最古の堂建築といわれる法堂(はっとう)が迫力ありです。
再建当時の鳴竜の声を聞くことができます。

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重森三令美術館(旧重森邸)の庭です。親族の方が管理していて見学には予約が必要です。現地で解説があります。
重森三令は弟子を取らなかったそうです。
Art・Creationであるとするならば、家元や後継者があるのはおかしいとの考え方があったようです。

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真如堂の三重塔。ちょうど4時で本堂は閉められるところでした。

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真如堂を通り抜けて、金戒光明寺の三重塔のある高台から見た山門と京都の街です。

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傍らのもみじに夕陽が当たりひときわ赤かったので・・・
黒谷にある金戒光明寺は浄土宗最初の寺院と言われるところ。
徳川幕府によって城郭風構造に改修され、幕末には京都守護職を
任ぜられた會津藩松平容保が本陣を敷いた場所でもあります。

 

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