11月末に中学の同級生仲間と「うだつ」の上がる町並みのある美濃市に行ってきました。江戸~明治期の商家が軒を連ねています。
美濃は和紙の産地としても知られています。
うちの障子紙は30年ほど前に張り替えたきりで、時代劇に出てくる荒れ寺状態。もう子どもが破ることもないので、大判の障子紙を買って張り替えることにしました。
やってみると、古い紙を剥がし濡らして糊を拭き取り乾かして、それから桟に糊を塗り紙を貼って縁をカットして、乾いてから霧を吹いて仕上げ・・・と結構面倒くさい。時間を掛けて一箇所ずつぼちぼち張り替えをしているところです。


京都に詳しい友人の案内で東福寺とその塔頭の庭巡り。場所によって異なりますが、紅葉の色づきはまだこれからのところが多いようです。先週のことです。



東福寺と言えば通天橋、東福寺の本堂と開山堂を結ぶ橋楼です。京都の紅葉はこれから真っ盛りですが、ここの紅葉は一足早いです。
ほかにも臥雲橋、偃月橋の二橋がもみじの谷を跨いでいます。
相国寺から、昭和の庭園家 重森三令が吉田神社の宮司家の邸宅を譲り受け、自宅の庭として作庭をした旧重森邸を訪ね、吉田山を越えて真如堂、金戒光明寺まで、そぞろ歩きしました。



藤枝で朝ラー。
暖かいのと冷たいのをセットで食べるのが食文化と何かに書いてあったが、たまたま入った店で叉焼ミックス(モモとバラ)を注文。さっぱり醤油味で麺は喉越しツルリ、おいしかった。
島田の蓬莱橋(ほうらいばし)を渡ってきた。昔この近くに住んでいたことがあるが、車を駐める所がなくて渡ったのは初めて。
数年前に駐車場と物産店を市が整備したらしい。たしか昔は橋のたもとに料金所の小屋があったと思う。
この水戸黄門のロケに出てきそうな橋は「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてギネスに認定されている。蓬莱橋の名前も良いが、長い木の橋は「長生きの橋」とも読める、全長は897.4mで「厄無し」、とても縁起が良い。
江戸時代、大井川には橋を造らず歩いて渡河することになっていたが、明治12年に対岸の牧之原に茶畑を開墾するために架橋されたのだそうだ。それ以来、洪水で流されては掛け替えられてきたのだろう。1965年の全面改修では橋脚がコンクリート杭に替えられている。
橋の通行料金は100円。対岸の坂を登り切ると牧之原台地の上に茶畑が広がっている。近くに富士山静岡空港の管制塔も見えた。残念ながら曇り空のため富士山は見えなかった。
橋だけで1km近くあるので、茶畑まで往復3kmくらいだろうか。ちょっとしたウォーキングになった。
さて、このあと大井川を車で行ける所まで遡ってみようと思う。
大井川の中流は川根茶の産地。蛇行を繰り返す川に沿ってどんどん奥地へ。千頭を過ぎると山は高く谷は深く、道も険しくなってくる。
ところが、井川ダムまであと数キロの所で通行止め。
しょうがないので、千頭から富士城峠を越えて静岡市方面に向かい安倍川の支流藁科川を遡って富士見峠を越え井川へ。延々とカーブの続く奥静の峠道、標高1000mくらいの紅葉が見頃だった。
井川からさらに大井川の上流に向かって南アルプスの懐に入る。道路は東京電力の取水ダムのある二軒小屋まで続いている。そこで川は東俣と西俣に分かれて大井川の名前は消える。
昔は二軒小屋までマイカーで行けたが、今は畑薙第一ダムよりも奥(林道東俣線)は一般車通行止めになっている。
畑薙第一ダムは1962年に中部電力が完成させた世界で最も高い中空重力式ダム(中が空洞になった重力ダム)で堤高125m。畑薙第一発電所の最大出力は完成当時中部電力で最大の13万7千kW(現在は8万6千kW)だった。ダムの構造を生かして水車と発電機はダムの中に収められている。洪水吐き導流部の傾斜が途中で変るフォルムが特徴的で、私が最も美しいと思うダムだ。
夕刻でかつ天気がイマイチだったが、ダム周辺の紅葉は素晴らしかった。
11月4日は終日天気に恵まれた。下山して新穂高温泉の宿に空きがあったので、泊めてもらうことにした。
ここは料理がおいしい。温泉は無色透明無味無臭の単純泉だが、湯量は豊富で、槍ヶ岳が見える内風呂や河原の風呂、ブランコや滑り台のある風呂など遊び心のある風呂がたくさんあって楽しい。
翌日は雲が多かった。長野県内を紅葉狩りドライブ。
この三連休に山が荒れて直後に快晴。思い立って紅葉狩りを兼ねて山へ向かう。途中名古屋高速からは、真っ白に雪をまとった御嶽、乗鞍、白山がクッキリ。名古屋から白山が見えるのは知らなかった。高い山しか雪がないので間違いないと思う。
さて、新穂高めがけてまっしぐら。ロープウェイの下の駅はちょっと遅めの紅葉、上の駅は白銀の世界だった。1ヶ月半前にここに来たときは真夏だったのに。
稜線にかけて積雪は15センチくらい。西穂山荘でラーメンを食べて、西穂丸山に登ってきた。新雪に適度に人の踏み跡が入って、アイゼン無しでもとても歩きやすかった。
途中すれ違ったモロッコから来た旅人が言うには、独標手前の岩場が滑って危なかったのでそこで引き返してきたとのこと。自分も独標まで行けたら?と思っていたが、丸山の少し先の斜面で引き返してきた。
快晴で前日と打って変わって暖かく、雪景色にも恵まれて本当にラッキーだった。
山行の途中で撮った写真です。
10月26日(日)は大ナゴヤツアーズのまち歩きで、東浦駅から藤江神社、塩田跡などを巡ったあとで大生紡績を見学するツアーが催行され、妻と一緒に工場跡の案内役を務めました。
参加者は産業遺産に関心のある方々なので質問も多く、2時間以上掛けてじっくりご案内しました。遠くは神戸から参加された方もいらっしゃいました。
10月25日開催の「ジョー熱フェス東浦2025」で行われる「産業遺産巡りツアー」の申込みを締め切りました。
ちょうど程良く定員に収まる応募があり、抽選等をすることなく応募された方全員に参加していただけることになりました。
申込みありがとうございました。ふるさとガイドの皆さんと協力してしっかりご案内します。
9月の初め、富山出身の方からのお誘いで、おわら風の盆を見に行く機会を得ました。風の盆の三日目、夕方、交通規制が始まる前に八尾の親戚のお宅に上げてもらって、ここをベースにまち歩き開始。
八尾のまちの11町内で三味線、胡弓、太鼓などの演奏と唄と踊りが三日三晩繰り広げられます。元禄時代に練り歩きが始まったとされ、踊りが加わったのは明治期、芸者達が即興で踊ったのが始まりと言われています。深夜零時過ぎても、今度は傘を脱いで、それぞれの町内で朝方まで夜流しが続きます。なんとも言えない情緒が漂います。
この時期には小さなまちに、19万人もの見物客が押し寄せます。でも、あくまでも地元の行事として、見物客は邪魔にならないよう静かに踊りを見るのが原則です。
婦負郡(ねいぐん)八尾町は、平成の大合併で富山市の一部になりました。かつては花街もあったそうです。井田川の河岸段丘の上に発展した江戸の佇まい家並み、造り酒屋も2軒残っています。
古くからから交易の要所として、そして養蚕と製糸で栄えた八尾の心意気を今に伝えています。富山の文化恐るべし。
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